メゾン マルジェラ

メゾン マルジェラとはどんなブランド? 現代ファッションの原点とも言える謎のブランドを徹底解説!

長年洋服に傾倒してきたファッショニスタから最近服に興味を持ち始めた人まで、世界中から愛されているファッションブランド、メゾン マルジェラ(Maison Margiela)

中でも日本では近年特にその人気が増しており、手を出しやすい香水や財布などを中心に年々その注目度が高くなっているようにも感じます。
今回の記事ではメゾン マルジェラの歴史や、なぜここまでマルジェラが人気を集めるのかまで、どこよりも解説いたします。


出典:pinterest

■メゾン マルジェラの歴史

・デザイナー マルタン・マルジェラの誕生まで

ブランド「マルジェラ」の創設者であるマルタン・マルジェラは1957年4月9日にベルギーのリンブルフの村で出生。
パンタロンルックやボディータイツなどで一世を風靡したブランド「クレージュ」のショーをドレスメーカーだった祖母と見たことがきっかけでファッションデザイナーを志します。

※マルジェラが初めて作った服はバービー人形用のジャケット

出典:fashion-press

マルタン・マルジェラは1977年に世界トップの名門服飾/芸術専門学校であるアントワープ王立芸術学院へ入学。
在学中はのちに「アントワープシックス」とも称されることとなる若きデザイナーたち(ドリス・ヴァン・ノッテン、ダーク・ビッケンバーグ、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ダーク・ヴァン・セーヌ、マリナ・イー)と切磋琢磨する日々を送ることになります。

ちょうどその頃世界のファッション業界では、COMME des GARÇONSの川久保玲や、ヨウジヤマモトの山本耀司らが、それまでカラフルに彩られていたランウェイを黒一色の装いで闊歩する「黒の衝撃」がセンセーションを起こしていた時期。


出典:asahi

マルタン・マルジェラも彼らから大きく影響を受け、当時の「モード」の概念を壊す川久保らと同じく、「アンチ・モード」をテーマとした世界観をその後作ってゆくこととなります

1979年にアントワープを卒業したマルタン・マルジェラは、1984年に観賞したジャン=ポール・ゴルチエのショーに感銘を受け、ゴルチエのアトリエに就職。
その後4年にわたってゴルチエのもとでデザインを学びながらアシスタントとして働きます。

ゴルチエは当時ファッション界に無かったデザイン(裏地を表側にあえて出すインサイドアウトなど)を生み出した人物。
彼の手法はのちのマルジェラに多く引き継がれることとなります。

※ジャン=ポール・ゴルチエのインサイドアウト ジャケット

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※メゾン マルタン マルジェラのインサイドアウト ベスト

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・メゾン マルタン マルジェラの設立

ゴルチエの元での4年間の修行を経て彼は自身のブランド、メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)は1988年スタート

デザイナーとしてのマルタン・マルジェラと、デザインに専念する彼をビジネス面で支えたジェニー・メイレンスの2人を中心にブランドが立ち上がりました。

古着をあえて入手し再構築するような独創的なコレクションや、日本の職人の足袋から着想を得たタビブーツのリリースなど、ファッション業界からは賛否両論を巻き起こした彼のクリエイション。
当時マルジェラが生み出したアイテムは、そのどれもがそれまでの服飾文化を別の次元に誘うような先進的なアイテムばかりでした。

※1989年SSのパリコレクション タビブーツにインクを付けてモデルが紙の上を歩くことで、その足跡からブーツのデザインの斬新さを表現

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また、何より新しかったのはデザイナーであるマルタン・マルジェラ自身が自身のショーを含む公の場にほとんど姿を表さなかったこと。

インタビューすらもFAXを使って書面でやりとりするという徹底的な匿名性は、当時のヴェルサーチェやカール・ラガーファエルドといったデザイナーの知名度先行型なファッション業界に対する反発として、マルジェラが打ち出した戦略だったのかもしれません。

ブランド立ち上げ当初は一部の熱狂的なファン以外は懐疑的な目を向けていたマルジェラのアイテムたちですが、その後約10年にわたって彼がクリエイションを続けているうちに、その人気は盤石なものとなってゆきました。

・エルメスのデザイナーを兼任

デザイナー、マルタン・マルジェラの名をより一層著名にした出来事といえば、1998年のエルメスのレディースプレタポルテの担当でしょう。

エルメス(Hermès)といえば、言わずと知れたファッションブランドの王様的存在。
職人気質と伝統の粋を極めるエルメスのブランド価値は、ルイヴィトンやグッチといった多くのラグジュアリーブランドたちと比較しても頭ひとつ抜けていると言えるでしょう。

そんなエルメスのクリエイションをマルタン・マルジェラは1998年から2004年にかけて自身のブランドと並行して担当。
ドゥブルトゥールと呼ばれるバンドを二重に巻いた時計や、女性が脱ぐときに髪が乱れないよう、深く切り込まれた胸元が特徴的なヴァルーズなど、多くの名作アイテムを生み出しました。

※ドゥブルトゥール 現在ではApple Watch×エルメスのバンドなどでも採用されている

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※ヴァルーズ

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当時のエルメスのアーカイブアイテムは「マルジェラ期」と呼ばれ、現在でもファッショニスタを中心に高い人気を誇っています
また、現在のエルメスのウィメンズを手がけるナデージュ・ヴァネ=シビュルスキーは、かつてマルジェラの元で働いていた人物。
彼女が手がける現在のエルメスのアイテムにも、マルジェラの影響をそこかしこで感じることができます。

※マルジェラ期のエルメスのタグ

出典:komehyo

・マルタン・マルジェラの失踪

栄華を極めていたかに見えたマルタン・マルジェラと彼のブランドですが、2002年にディーゼルグループの出資を受けるようになった頃から、徐々にその歯車が狂い始めます。

ゴルチエの元で働いていたマルタン・マルジェラを見出し、ともにブランド立ち上げから歩んできたジェニー・メイレンスが2003年に退社。
ジェニー・メイレンスは、のちに引退の理由を「疲れてしまった」と語っています。

そして、元々メディアの場に顔を出すことのなかったマルジェラでしたが、その後2000年代後半には、マルジェラがいつの間にか姿を消しているのではという噂がファッション業界で流れるように。

2009年ついにディーゼル創業者のレンツォ・ロッソが各国メディアに対して「マルタン マルジェラがメゾンのデザインには関わっておらず、デザインチームがメゾンを引き継いでいる。」とコメント。
名デザイナーの突然の失踪は、世界に衝撃を与えました。

のちにマルジェラはインタビューで、2008年に当時チームにも別れを告げることもないまま突然アトリエを去ったこと。
そして、そのことを深く後悔していることを語っています。

・ブランド「マルジェラ」のその後

マルタン・マルジェラがブランドを去ると、ニナ・ニーチェを中心とするデザインチームがコレクションを引き継ぎ、メゾン マルタン マルジェラを続けることとなります。
そして、2014年には元ディオールやジバンシィのデザイナー、ジョン・ガリアーノがブランドのディレクターに就任。
ブランド名を「メゾン マルジェラ(Maison Margiela)」に変更し、今日に至っています。

※ジョン・ガリアーノ

出典:gqjapan

■メゾン マルジェラが人気な理由① -マルタン・マルジェラのカリスマ性-

ここからは、マルジェラが何故世界中から愛されるのか、その理由を大きく3つに分けて解説できればと思います。

まずひとつめの理由としては、マルタン・マルジェラのクリエイションが持つ、圧倒的なカリスマ性が多くのデザイナーを惹きつけているからだと言えるでしょう。
かつて川久保玲や山本耀司に憧れたマルタン・マルジェラですが、現在は多くの著名なデザイナーが「マルジェラ・チルドレン」を公言していることが知られています
例えば、ジルサンダーやディオール、プラダを歴任する名デザイナー、ラフ・シモンズは実はマルジェラと同郷。
マルタン・マルジェラと同じ村で生まれたラフ・シモンズは、マルジェラへの憧れからファッションの世界を志したことで知られています。


出典:ginzamag

また、ヴェトモンの創設者にして、バレンシアガを人気の絶頂に導いたデムナ・ヴァザリアは、かつてのマルタン・マルジェラと同じくアントワープ王立芸術学院を卒業。その後自身のブランド「ステレオタイプス(STEREOTYPES)」を立ち上げるも休止し、メゾン マルタン マルジェラに参画。
デムナはマルジェラがブランドから姿を消すまでにともに過ごした3年間を「デザイナーとしてのルーツ」と回想。

その後、ルイヴィトンへの参画やヴェトモンの立ち上げなどから、ファッション界のスターダムを駆け上がったデムナ・ヴァザリア。
ヴェトモンの2018年のAWコレクションでは「マルジェラ」をテーマとするほどの敬愛ぶりを見せています。


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こうしたマルジェラ・チルドレンのみならず、今のファッション業界を見渡すとそこかしこにマルジェラのオマージュやリスペクトが刻まれたアイテムたちを目にします。表舞台に姿を表すことなく、いつの間にか消え去ってしまったマルタン・マルジェラの影響力は現在のファッション業界でも絶大であり、だからこそ本元のブランドであるメゾン マルジェラに惹かれるファンが多いのかもしれません。

■メゾン マルジェラが人気な理由②-アイコニックかつさりげないデザイン性-

マルジェラはこれまでアイコニックなデザインを数多く作り出してきました。
蹄のような別れた指先が特徴的なタビブーツ。下に向かって広がる長いジップが目を引く通称ハの字ライダース。そしてなにより著名なのが四つのか細い糸で縫い付けられたブランドのタグ。


出典:maison-okada


出典:tf-style

ブランドを象徴するこの四つ糸タグは、マルタン・マルジェラを神格化させる要因ともなった彼の匿名性の表れ
表舞台に姿を表すことを嫌ったマルタンをよく知るジェニー・メイレンスのアイディアで、「タグがなくてもブランドそのものの価値が見出せるか」をテーマに、あえて取れやすいこのタグが生まれました。

また、当時はタグにも真っ白で何も書かれていなかったのも特徴的。
徹底した匿名性は逆にブランドの知名度を大きく広める要因となりました。


出典:artcurial

その後1999年にはタグに番号が並ぶ、通称カレンダータグが登場。
10番にマルが付いていれば男性のためのコレクション、4番は女性のためのワードローブといった形でラインごとのマルジェラのアイテムの違いをスタイリッシュに表現したこのデザイン性は、多くのファンを惹きつけてやまない要因だと言えるでしょう。

ひるがえって現代のファッション業界はといえば、まさしくインスタグラムの全盛時代。
洋服自体の素材感やシルエットよりも、視認性の高いブランドロゴが求められる現代において、ブランド名を出さずともひと目でマルジェラとわかる四つ糸タグ、カレンダータグは若者からも洗練されたデザインに写っていることでしょう。

■メゾン マルジェラが人気な理由③-ジョン・ガリアーノの現代にマッチしたデザイン-

現代においても絶大な人気を誇るメゾン マルジェラですが、その人気の理由はマルタン・マルジェラの過去の栄光にのみ縋っているものではありません

現在のメゾン マルジェラを率いるジョン・ガリアーノは、かつてのマルジェラのデザインを上手く活用しつつ、卓越したドレスメイキングによって当時のマルジェラ以上に優美なシルエットを生み出している傑物です。

また、匿名性やさりげなさの象徴だったマルジェラのデザインを前面に押し出したアイテムを量産しているのもガリアーノスタイル。
本来服の内側にあるカレンダータグをあえて表に持ってきたデザインや、タビをスニーカーに落とし込んだアイテムなどは「わかりやすさ」が求められる現代にマッチしたデザイニングだと言えるでしょう。


出典:rakuten

こうしたジョン・ガリアーノの方針によって、マルタン・マルジェラがいた当時よりもブランドの収益性は高いものとなっています。

■まとめ

ここまでメゾン マルジェラの人気の理由や歴史についてご紹介してきました。
世界中、そして特に日本において絶大な人気を誇っているメゾン マルジェラ。その人気の理由や歴史を少しでも皆様が感じ取れたのなら幸いです。
是非、マルジェラのアイテムを一度は手に取ってみてください。
本サイトでは他にも様々なファッションブランドの歴史やアイテム解説を行なっております。他の記事もあわせてご覧頂けましたら幸いです。

ABOUT ME
しゅー
2022年まで約6年間にわたって大手IT系企業に在籍。ファッションブランドやゲーム会社のマーケティング、カスタマーエクスペリエンス強化、海外進出を支援。Supreme、スニーカー、ラグジュアリーストリートが大好物。