2015年のコラボ「UNIQLO & LEMAIRE」経て2016年にスタートして以降、今や本家ユニクロ以上の人気を誇るユニクロU(UNIQLO U)。
日々数多くのブランドやデザイナーとコラボレーションを発表するユニクロにおいて、ユニクロUは毎シーズン春夏/秋冬でアイテムがリリースされる定番コラボとなっています。
ミニマルで高級感のあるユニクロUのデザインを手がけるのは、クリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)。
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しかし、普段ユニクロUを好んで買っていても、ルメールについては「過去にエルメスのデザイナーをやっていた何かすごい人」程度のイメージの方が少なくないはず。
今回の記事ではそんなクリストフ・ルメールにフォーカスし、彼の経歴や手がけたブランドを徹底解説。
これを読めばユニクロUに袖を通すのがもっと楽しくなること請け合いです!
■生い立ちから自分のブランド設立まで
クリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)は1965年4月にフランスのブザンソンで誕生。
ブザンソンは「映画の父」と呼ばれるリュミエール兄弟や、「レ・ミゼラブル」で知られる作家のヴィクトル・ユーゴーを輩出した文化都市。
クリストフ・ルメールも多くの先達に憧れ、当初は文学に深い興味を抱いて学んでいたようです。
フランス文学はもちろんのこと、三島由紀夫や谷崎潤一郎まで読みあさっていたクリストフ・ルメール。
学生時代の後半に入ると文学から美術へと専攻を移し、美術専門学校「アトリエ ドゥセーブル」へ入学。
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アルバイトとしてミュグレーで働き始めたことでファッションの世界の面白さを知ることになります。
アトリエ ドゥセーブルを卒業するとクリストフ・ルメールはイヴサンローラン、ティエリーといった名だたるブランドでのインターンシップやアシスタントを経験。
その後、クリスチャン ラクロワでのアシスタントからオートクチュール部門とプレタポルテ部門の責任者を経て、1990年に自身の名を冠したブランド「クリストフ ルメール」を設立。
1994年にはメンズコレクションも発表しました。
■ラコステ時代
クリストフ・ルメールは2001年にワニのマークで知られるスポーツブランド、ラコステ(LACOSTE)に入社。
彼が提案する目を見張るような色使いやストリートライクなグラフィック、エッジの効いたシルエットは、ラコステに新たな風を吹き込みました。
翌2002年にはジャイルズ・ロジエの後任としてラコステのクリエイティブディレクターに抜擢。
クリストフ・ルメールは当時業績が低迷していたラコステの危機的状況の立て直しに着手することとなります。
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自らのブランドである「クリストフ ルメール」を休止しラコステに集中したルメールは、ヨット界の名スキッパー(船長) ロイック・ペイロンに向けて開発したヨットウェアのコレクションや、「Club」「Life!」といったラコステの新しいコレクションラインをスタート。
ラコステのこれまでの顧客を失うことなく新たな顧客を発掘する、というミッションを見事成功させます。
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彼が手がけたラコステは業績低迷から不死鳥の如く蘇り、クリストフ・ルメールは「ラコステを復活させた男」として、ファッション界での大きな名声を手にすることとなります。
そんなルメールは2010年に同ブランドを退任。
同年12月には世界最高峰のブランド、エルメスのウィメンズクリエイティブディレクターに就任することとなります。
■エルメス時代
1837年にフランスで誕生したエルメス(Hermès)は、ヴィトンやグッチといったラグジュアリーブランドよりも一段上の職人気質な高級メゾン。
エルメスのウィメンズ部門を手がけるディレクターには名だたるデザイナーが就任するケースが多く、特に1997年から2003年までエルメスのデザインを手がけたマルタン・マルジェラのアイテムは、現在でも「マルジェラ期」として大きな人気を誇っています。
2003年にマルジェラがエルメスから退くと、後任のエルメスのディレクターとしてマルジェラの師匠であるジャン=ポール・ゴルチエが就任。
本人が以前から得意としていた異素材の組み合わせや派手めな色使い、強い女性をイメージしたデザインが人気を集めたゴルチエ手がけるエルメス。
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ゴルチエが2009年にエルメスに別れを告げると、後任として当時ラコステで辣腕を振るっていたクリストフ・ルメールに白羽の矢が立ちます。
2010年6月にスタートしたルメール体制でのエルメスのウィメンズは、自身のブランドで培ったミニマルなデザイン、ラコステで学んだスポーツウェアのタッチ、そして 70 年代リバイバルを取り込んだコレクションとなりました。
出典:vogue
ジャン=ポール・ゴルチエ時代の派手なデザインから一線を画し、ミニマルさと機能性、経年変化を楽しむデザインにエルメスを回帰させたクリストフ・ルメール。
彼の手がけたエルメスもまた、それまでのディレクターと違う形で高い評価を受けることとなります。
その後、約5年にわたってエルメスを牽引したルメールは、自身のブランドへ集中したいとの思いからエルメスから退くことを決断。
2015 年春夏コレクションを最後に、ウィメンズ プレタポルテのアーティスティックディレクターを退任することとなりました。
■自身のブランド「ルメール」
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ここまで彼の生い立ちからラコステ、エルメスでの活躍をご紹介してきましたが、ユニクロとのコラボレーションに移る前に、彼自身のブランドについて改めて触れる必要があるでしょう。
1990年にルメールがブランド「クリストフ ルメール」を立ち上げたことは既に述べましたが、同ブランドはルメールがラコステに集中するために2001年に休止することとなります。
ラコステの立て直しが軌道に乗り始めると、2006年に自身のブランドを復活。
当時のミニマルで質実剛健なデザインはのちのエルメスや現在のユニクロUのクリエイションにも引き継がれています。
※2009年秋冬 クリストフ ルメール
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その後、2010年からエルメスのウィメンズ プレタポルテ アーティスティックディレクターに就任すると、ルメールは自身のブランドとエルメスとの二足の草鞋に勤しむように。
しかし、ブランド「クリストフ ルメール」への集中を目的に、2015年春夏コレクションをもって世界最高峰のメゾンブランドからの退任を表明しました。
エルメスから退任すると、ブランド名を「クリストフ ルメール(CHRISTOPHE LEMAIRE)」から「ルメール(LEMAIRE)」に変更。
クリストフ・ルメールのパートナーであるサラ=リン・トラン(Sarah-Linh Tran)がブランドの共同デザイナーとして参画し、彼女は主にウィメンズやアクセサリーを今日まで手がけています。
※サラ=リン・トランとクリストフ・ルメール
出典:ssense
ちなみに、名称を変更するにあたってクリストフ・ルメールは自分の名をもうブランド名にしたくないと、「habits (フランス語で服装の意)」や「uniform (ユニフォーム)」といったブランド名をサラやデザインチームに提案していたそう。
こうした候補の中には、なんと「Vetements(フランス語で服の意)」もあったそうですが、残念ながら既にデムナ・ヴァザリアによって同名のブランドが使われていたことで断念。
ブランド名決めはずいぶんと難航したのち、サラ=リン・トランやデザインチームの説得によって「ルメール(LEMAIRE)」に落ち着いたと、のちにルメールはインタビューで語っています。
■ユニクロとのコラボから現在まで
2015年にエルメスを退任したクリストフ・ルメールでしたが、同年の秋冬シーズンにユニクロとコラボレーションをするというニュースが世界中のファッション関係者を驚かせました。
ユニクロのコンセプトである「LifeWear」とクリストフ・ルメールが考える機能的でミニマルなファッションは親和性が高く、ジル・サンダーを招聘し行った+Jコレクションと並び、「ユニクロ=ダサい」を払拭した偉大なコラボとなりました。
世界最高峰のブランドを手がけていたデザイナーのクリエイションをユニクロ価格で手に取れることから、発売当時は各所のユニクロで長蛇の列が発生。
この「ユニクロ アンド ルメール」コレクションは翌年2016年の春夏シーズンも続き、大成功を収めました。
2016年秋冬にはクリストフ・ルメールがユニクロのアーティスティックディレクターに就任。
同時にコラボライン「ユニクロU」を立ち上げ、現在まで至っています。
なお、余談ですがクリストフ・ルメールは過去のインタビューにて、自身にとっての最大の後悔を「ブランド名を自分の名前にしたこと」としており、ユニクロ アンド ルメールからユニクロUへの名称変更は、前述の経緯があったからなのかもしれません。
※ユニクロ アンド ルメール時代のシャツ 筆者所有
■さいごに
ここまで、手がけてきたブランドを中心にクリストフ・ルメールの経歴を解説してきました。
普段から何気なく手に取ってきたユニクロUですが、本記事を読んでから改めて見つめ直すと少し違った魅力が感じられるはず。
本サイトでは他にも様々なブランドの歴史や人気の理由などを解説しております。
是非、他の記事も合わせてご覧いただけましたら幸いです。