1980年代に登場し、同時期にリリースされたダンクやエアジョーダン、エアフォース1などと並び、いまだ根強い人気を誇るナイキの名作、ターミネーター(TERMINATOR)。
その生産数の少なさから、一時は幻のスニーカーとしてプレミアがついた本モデルは2022年についに復刻がなされます。
しかし、ターミネーターのリリース当初や、ターミネーター人気が頂点に達したヴィンテージブームの時代を知らないスニーカーヘッズも多いはず。
今回の記事では、そんなターミネーターの歴史や変遷にフォーカスし、同スニーカーの魅力を徹底解剖いたします。
■ターミネーター(TERMINATOR)の誕生
ターミネーターの誕生の歴史は1970年代まで遡ります。
1970年代当時、バスケットボールシューズの市場はアディダスとコンバースが席巻しており、両ブランドは多くのスター選手と契約することでしのぎを削っていました。
また、フィットネスブームによって同時期リーボックが大きく成長。ナイキは稼ぎ頭だったランニングブームの収束によって売上が落ちており、スポーツブランドとしては一人負けの状況となっていました。
そんな中、起死回生の一手としてバスケットボール市場に参入したナイキは、エアフォース1やエアジョーダン1といった名作モデルを投入し一気に市場シェアを奪取。華々しい復活を遂げることとなったのです。
そんな1980年代のバスケットボールシーンにおいては、NBAと並んでNCAA (全米大学体育協会)のバスケットボールも大きな人気誇っていました。
毎年3月から4月にかけて行われるNCAAのバスケットボールトーナメントは「マーチマッドネス3月の狂乱)」と呼ばれ、中でもトーナメントのファイナル4常連校だったジョージタウン大学の人気は凄まじいものでした。
出典:pinterest
当時のジョージタウン大学男子バスケットボールチーム「HOYAS(ホヤス)」は、チームのバスケットボールシューズとしてナイキのレジェンドを着用。
そんな中、このレジェンドが生産終了したことに伴い、ナイキはHOYASに対し、当時売り出し中だったエアフォース1への履き替えを提案しました。
※ナイキ レジェンド
しかし、ナイキの申し出をHOYASのヘッドコーチだったジョン・トンプソンは拒否。
レジェンドの後継モデルとして新たなバスケットボールシューズの開発をナイキに依頼したのです。
ナイキは前身モデルであるレジェンドをベースに、ジョージタウン大学のカラーであるネイビーとグレーの配色、そしてヒール部分には大きな「HOYAS」の文字。
こうしてHOYAS専用の名作スニーカー、「ターミネーター(TERMINATOR)」が誕生したのです。
出典:psycostyle
■大人気モデル、ダンクへの発展
ジョージタウン大学HOYASのメンバーに配られたターミネーターですが、ナイキはこれを一般向けにも販売。
商標の都合上、ヒール部分の「HOYAS」を「NIKE」に変更したモデルを1985年にリリースしました。
この大きなナイキロゴは、カマボコの断面のような湾曲したそのフォルムから日本では「カマボコナイキ」と呼ばれ、80年代のナイキヴィンテージを代表するデザインとなってゆきます。
出典:k-skit
そんなジョージタウン大学のターミネーターのリリースを踏まえ、ナイキは大学バスケットボールの人気ぶりに改めて着目。
ターミネーター同様にバスケットボール名門校のチームカラーと連動したバスケットボールシューズをリリースする「カレッジ・カラー・プログラム」を企画しました。
出典:sneakerhack
同プログラムでナイキはバスケットボール強豪校10校とコラボし、新作スニーカー「ダンク」を開発。
ターミネーターの再販と合わせて計8種類のバスケットボールシューズをリリースしました。
現在のナイキの人気を支える名作シューズ、ダンクはなんとここから誕生。
こうした経緯を踏まえれば、ターミネーターはある意味ダンクの兄貴分とも言えるでしょう。
■90年代のヴィンテージブームと復刻
出典:k-skit
1990年代に入ると、古着ファッション・ヴィンテージファッションと呼ばれるスタイルが日本で大流行。
ダウンタウンの浜田雅功氏が着こなす古着やアメカジファッションを真似する「ハマダー」が数多く存在していました。
そんな中、80sのバスケットボールシューズの中でも球数が少なかったターミネーターはヴィンテージブームによって人気が沸騰。
一部ではあのエアマックス95よりも高額で取引されていたとも聞いています。
1999年には約15年の時を経てダンクが復刻。
それに伴いターミネーターも復刻されるのではと多くのファンが期待しましたが、結果としては2003年まで復刻は見送られることとなりました。
余談ですが、スニーカーショップ大手atmos(アトモス)は、自社のカラー提案として初めてダンクローとエアフォース1ローを2001年にリリース。
そのカラーがターミネーターの象徴とも言えるネイビーとグレーだったのは、一向に復刻しないターミネーターへの渇望によるものだったのかもしれません。
そんなターミネーターでしたが、2003年についに初復刻。
しかし、履き心地を向上させるためか、内部にベロとインソールをつなぐゴムバンドが追加されていたり、細かなディテールがオリジナルと異なっているなどの点から、マニアからは酷評を受ける結果に。
その後2008年に2度目の復刻をした際には、「NIKE TERMINATOR HIGH (VNTG)」の名で、オリジナルのディテールを再現しつつヴィンテージ加工をあえて施したデザインでリリース。
こちらは初代ターミネーターが古着好きやヴィンテージ好きに愛された1990年代のトレンドを意識したモデルだったと言えるでしょう。
出典:k-skit
その後はレディース向けに豊富なカラーバリエーションをリリースしたり2014年にいくつかのカラーリングと共に再度復刻をして以降、2022年までリリースがされないまま現在に至っています。
ちなみに、2014年の復刻時には、ターミネーターの象徴とも言えるヒールのカマボコナイキが、通称「ゴツナイキ」と呼ばれる別のロゴに差し代わっており、波紋を呼びました。
出典:oadtrunklemo
そんなターミネーターですが、8年の沈黙を破ってついに2022年に復刻されることに。
ジョージタウン大学HOYASのために作られた初期カラーはもちろんのこと、なんとコム・デ・ギャルソン オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)とのコラボレーションアイテムも登場し、大きな注目を集めています。
出典:houseofheat
これまでになかったカラーリングやブランドコラボなども期待されており、これを機にターミネーターのリリースラッシュが始まるかもしれません。
■さいごに
今回の記事では、ナイキの名作バスケットボールシューズ「ターミネーター(TERMINATOR)」の歴史をご紹介致しました。
ここ数年、エアフォース1、エアジョーダン、ダンクと名作モデルの拡販に力を注いできたナイキ。ダンク人気が少しずつ落ち着いてきた中、次なるヒットモデルとしてターミネーターにスポットを当てる時がきたのかもしれません。
本サイトでは、今後もナイキやターミネーター、そしてスニーカー市場にフォーカスし、様々な記事を執筆してゆく予定です。ぜひ他の記事も併せてご覧いただけましたら幸いです。