長きにわたり世界中の服好きから愛されてきたメゾン マルジェラ(Maison Margiela)。
先日ジョン・ガリアーノのクリエイティブディレクター退任が報じられ、後任としてディーゼルのグレン・マーティンスの就任が決まりました。
そこで、今回の記事ではメゾン マルジェラの歴代ディレクターや “元”マルジェラのデザイナーを徹底解説。
創設者マルタン・マルジェラの謎めいた半生やジョン・ガリアーノによるこの10年間に及ぶ大躍進、そして新星グレン・マーティンスによるクリエイションへの期待を展望します。

■ブランド創設者:マルタン・マルジェラ
出典:wwdjapan
伝説的ブランド、メゾン マルジェラ(当時のメゾン マルタン マルジェラ)を立ち上げたマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)は公の場に姿を表すことが極端に少ない、謎めいた人物。
自身のコレクションに姿を見せず、ファッション誌からのインタビューもFAXでやりとり。
ブランドからの「引退」すらもある日突然失踪する形で成し遂げたマルタン・マルジェラの匿名ぶりは、そのクリエイションやブランドスピリッツにも色濃く反映されています。
※マルタン本人だけが不在の「チームマルジェラ」集合写真
出典:bronline
※取れやすいタグやマスクをつけたランウェイモデル
マルタン・マルジェラは1957年4月9日にベルギーのリンブルフの村で出生。
パンタロンルックやボディータイツなどで一世を風靡したブランド「クレージュ」のショーを、ドレスメーカーだった祖母と見たことがきっかけでファッションデザイナーを志します。
1977年にアントワープ王立芸術学院へ入学し、1979年にアントワープを卒業。
84年に観賞したジャン=ポール・ゴルチエのショーに感銘を受けたことをきっかけに、ゴルチエのアトリエの門を叩きます。
※ゴルチエとマルジェラ
ゴルチエのもとで4年にわたってデザインを学びながらアシスタントとして働いたマルタン・マルジェラ。
ゴルチエは当時ファッション界に無かったデザインを数多く生み出した人物。
裏地を表側にあえて出すインサイドアウトなどの彼の手法は、のちのマルジェラに多く引き継がれることとなります。
1988年にゴルチエから独立すると、メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)をスタート。
日本の職人の足袋から着想を得た「タビブーツ」をはじめとする独創的なコレクションを次々とリリースします。
「マルジェラ」立ち上げから10年を数える頃、マルタンはエルメス(Hermès)のレディースプレタポルテに就任。
2004年まで続いたマルジェラ期のエルメスでは、ドゥブルトゥールと呼ばれるバンドを二重に巻いた時計や、女性が脱ぐときに髪が乱れないよう、深く切り込まれた胸元が特徴的なヴァルーズなど、多くの名作アイテムを生み出しました。
※ドゥブルトゥール 現在ではApple Watch×エルメスのバンドなどでも採用
※ヴァルーズ
出典:aucfan
ブランド「マルジェラ」にトップブランド「エルメス」と、栄華を極めていたかに見えたマルタン・マルジェラ。
しかし、2002年にディーゼルグループの出資を得始めると、立ち上げ時からのパートナーだったジェニー・メイレンスが2003年に退社。
そして、元々メディアの場に顔を出すことのなかったマルジェラでしたが、2000年代後半には、マルジェラがいつの間にか姿を消しているのではという噂がファッション業界で流れるように。
2009年ついにディーゼル創業者のレンツォ・ロッソが各国メディアに対して「マルタン マルジェラはもうメゾンのデザインには関わっておらず、デザインチームが引き継いでいる」とコメント。
名デザイナーの突然の失踪は、世界に衝撃を与えました。
のちにマルジェラはインタビューで、2008年に当時チームにも別れを告げることもないまま突然アトリエを去ったこと。
そして、そのことを深く後悔していることを語っています。
出典:brutus
ちなみに、2025年現在でもマルタン・マルジェラはファッション業界に戻ってきておらず、実質的な引退状態。
今は現代アーティストとして個展を開くなどの活動を行っています。
■成長の立役者:ジョン・ガリアーノ
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マルタン・マルジェラが偉大なるブランド創設者だとすれば、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)は「マルジェラ」を大きく成長させた立役者だと言えるでしょう。
マルタンが2008年に失踪した後の「マルジェラ」は、ニナ・ニーチェを中心とするデザインチームがコレクションを引き継ぐことに。
そして、2014年にジョン・ガリアーノがブランドのディレクターに就任することが発表。
この時のガリアーノは、後述する不祥事によりファッション業界から離れており、マルジェラ参画は彼の復帰戦ともいえる出来事でした。
ジョン・ガリアーノは1960年にイギリスの海外領土であるジブラルタルで誕生。
6歳でロンドンに移住し、24歳で名門「セント・マーチンズ」のモード科を主席で卒業します。
1984年に自身のファッションレーベルを立ち上げるも、1988年に財政難で倒産。
その後89年にパリに移り、95年にジバンシィのクリエイティブディレクター、1996年にクリスチャン ディオールのクリエイティブディレクターに就任します。


気鋭の天才デザイナーとして名声をほしいままにしたジョン・ガリアーノ。
特にディオールでは15年間にわたるディレクションの中で売上を4倍にし、店舗数を10倍に増やすなど大きな成功を収めています。
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しかし、そんなガリアーノの栄華が崩れ去ったのが2011年。
パリのバーで反ユダヤ主義的な発言をしたとして逮捕され、ディオールから解雇。
かつてフランスから賜ったレジオンドヌール勲章も剥奪されてしまいます。

スキャンダル以降、セラピーやリハビリを経て2014年10月6日、OTBグループの発表でメゾン・マルジェラのクリエイティブディレクターに就任。
翌2015年1月12日に初のクチュールコレクションを発表し、そこから10年にわたってマルジェラを牽引することとなります。

ガリアーノのマルジェラは、カレンダータグを表面に出し「映え」を狙うマス層向けのアプローチと、ガリアーノ本人の練りに練られたコレクションアイテムをコア層にぶつけるという2面体制。
これが大きくヒットし、マルタン時代以上の売上をマルジェラにもたらす結果となりました。
■ブランドの新しい顔:グレン・マーティンス
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ジョン・ガリアーノによるクリエイションは2024年12月をもって終了し、メゾン マルジェラは後任のディレクターとしてグレン・マーティンス(Glenn Martens)を指名。
マルタン・マルジェラとジョン・ガリアーノが1957年と1960年生まれ(わずか3歳ちがい)だったのと引き換えに、グレン・マーティンスは1983年生まれの40代。
マルタン・マルジェラと同様にベルギー生まれの彼はアントワープ王立芸術アカデミーでファッションを学び、2008年に卒業。
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2008年から2010年までジャン・ポール・ゴルチエでジュニアデザイナーとして働き、その後2010年から2013年までY/プロジェクトでヨハン・セルファティのアシスタントを務めました。
2013年にY/プロジェクトのヨハン・セルファティが亡くなると、同ブランドのクリエイティブディレクターに就任し成長を牽引。
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2020年からはマルジェラと同じグループであるディーゼルのクリエイティブディレクターを務め、2022年にはジャン・ポール・ゴルチエのオートクチュールコレクションをデザインしています。
「ベルギー」「アントワープ」「ゴルチエ」とマルタン・マルジェラの軌跡を追うかのようなキャリアステップを踏んだグレン・マーティンス。
彼が2025年から手がける「新生マルジェラ」は一体どのようなものになるのでしょうか?
■「元マルジェラ」の有名デザイナーたち
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表舞台から彼が消えてから15年を数えますが、彼のクリエイションは数多くのファッションデザイナーに多大なる影響を与え、「マルジェラチルドレン」を公言する人物も少なくありません。
・ラフ・シモンズ
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例えばジルサンダーやディオール、プラダを歴任する名デザイナー、ラフ・シモンズは実はマルジェラと同郷。
マルタン・マルジェラと同じ村で生まれた彼は、マルジェラへの憧れからファッションの世界を志したことで知られています。
・デムナ・ヴァザリア
出典:gqjapan
ヴェトモンの創設者にして、バレンシアガを人気の絶頂に導いたデムナ・ヴァザリアは、かつてのマルタン・マルジェラと同じくアントワープ王立芸術学院を卒業。
その後自身のブランド「ステレオタイプス(STEREOTYPES)」を立ち上げるも休止し、メゾン マルタン マルジェラに参画します。
デムナはマルジェラがブランドから姿を消すまでにともに過ごした3年間を「デザイナーとしてのルーツ」と回想。
その後、ルイヴィトンへの参画やヴェトモンの立ち上げなどから、ファッション界のスターダムを駆け上がったデムナ・ヴァザリア。
ヴェトモンの2018年のAWコレクションでは「マルジェラ」をテーマとするほどの敬愛ぶりを見せています。

・ナデージュ・ヴァネ=シビュルスキー
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ナデージュ・ヴァネ=シビュルスキーはデムナ以上にマルタン・マルジェラの後を追いかけた人物。
2005年から2008年にかけて、マルタン在籍中のメゾンマルジェラにデムナと共におり、マルタンが失踪するとセリーヌに移籍します。
かつて、マルタン・マルジェラがエルメスのディレクションを退くと、マルジェラの師匠ゴルチエや、現ユニクロUディレクターのクリストフ・ルメールが同職を担当。
そして2015年、クリストフ・ルメールの後任としてエルメスのレディース分野のクリエイティブ・ディレクターに指名されたのが彼女なのです。

誰にも告げずに業界を去ってしまったマルタン・マルジェラですが、彼が蒔いた種は今もなおファッション界の各所で芽吹いていると言えるでしょう。
■さいごに
今回の記事では、マルジェラの歴代ディレクターについてご紹介いたしました。
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