2021年11月28日(現地時間)、オフホワイト(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH)の創設者であり、現ルイヴィトン(Louis Vuitton)のメンズアーティスティック・ディレクターをつとめるヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)氏が死去しました。享年41歳でした。
心臓血管肉腫という心臓にできる癌で2019年以来闘病中だったのこと。
今回の記事では彼の早すぎる夭折を悼みつつ、ヴァージル・アブローの生涯や功績を振り返って行きたいと思います。
■ヴァージル・アブローのキャリア
ヴァージル・アブローのデザイナーとしてのキャリアは、アメリカのヒップホップ歌手カニエ・ウエスト(Kanye West 現イェ)との交友から始まりました。
イリノイ工科大学大学院で建築学を学び、修士号を取得したヴァージルは卒業後、建築関係の会社に就職。
建築とグラフィックデザインを巧みに融合させる建築物を得意とするレム・コールハースの影響を受け、ファッションデザインに興味を持ったとのちに語っています。
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ヴァージルは、シカゴのプリントショップでTシャツのデザインを手掛けているときにカニエと出会います。
同じシカゴ出身ということもありヴァージルとカニエは意気投合。
2002年よりカニエは自身のツアーの物販、アルバムカバー、ステージデザインなどをヴァージルに依頼するようになります。
2009年にカニエと共にフェンディ(FENDI)でインターンを務め、2012年にはカニエの設立したクリエイティブエージェンシーであるDONDAのクリエイティブディレクターに就任しました。
DONDAを手がける傍ら、ヴァージルはついに自身のブランドプロジェクトを始動。2012年12月、プシャ・Tの音楽やチャンピオンの体育着、マイケル・ジョーダンへの敬愛など、自身の高校時代の思い出をトリビュートした映像作品を「PYREX VISION」と題してYouTubeで公開。
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すると、作品に登場したアイテムが大きな注目を集め、パリの大手セレクトショップなどから「この動画に映っている服は買えるのか?」といった問合せを受けます。
反響を受けヴァージルは2013年1月、ブランドPYREX VISIONを立ち上げ。
ジョーダンの背番号や絵画のモチーフをストリートファッションに落とし込んだアイテムをリリースしました。
PYREX VISIONのデザインをブラッシュアップし2014年1月にOff-whiteをリリースすると、その人気は爆発。
16年SSにはパリコレクションでランウェイデビューを果たします。
2017年11月にはナイキとコラボした「THE TEN」コレクションを発表。
立ち上げ5年にも満たない新興ブランドとナイキの大型コラボという異質性もさることながら、デザインの洗練さから人気が爆発。
ヴァージルの知名度はますます上がってゆきます。
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オフホワイトの成功によってファッション界のキャリアの階段を最速で駆け上がったヴァージル。
彼のキャリアを決定的な物にしたのは18年のルイヴィトン メンズ部門のアーティスティックディレクターへの就任と言えるでしょう。
前任のルイヴィトンのメンズアーティスティックディレクターはキム・ジョーンズ(Kim Jones)。
シュプリームやフラグメントデザインといったストリートブランドとのコラボレーションを通じて、「ラグジュアリーストリート」というニュージャンルの発展に寄与した彼は、2018年3月にディレクターを退任。
ストリートファッションや裏原宿文化に造詣が深く、コラボレーション好きだったキムはヴァージルの盟友。
そのデザインスタイルにも大きく共通点を持っていました。
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キムの後任としてヴァージル・アブローがメンズアーティスティック・ディレクターとして発表されると、世界は震撼。
アパレルデザイナーとしてのキャリアが5年にも満たず、なおかつルイヴィトンの170年の歴史の中で初めての黒人アーティスティックディレクターであることは驚きを持って迎えられました。
ルイヴィトンの伝統的なデザインやモノ作りにストリートカルチャーや多様性を組み込んだアイテムは好評を博し、その世界観は直近のOff-whiteのコレクションにも逆輸入されています。
その後、ヴァージル就任後のルイヴィトンの人気は好調を続け、相対効果でオフホワイトもその人気を拡大。
高級ストリートブランドとしての位置を確立したオフホワイトに目をつけたルイヴィトンの親会社LVMHグループは、2021年にオフホワイトを傘下に収めました。
■ヴァージル・アブローの功績
ヴァージル・アブローは間違いなく2010年代後半から現在に至るまでのファッション業界の中心にいた人物でした。
彼のデザインの本質は彼が「3%アプローチ」と呼ぶ独特の手法で行われています。
建築家としてのバックボーンを持つヴァージルはウィスコンシン大学で土木工学の学位取得後、イリノイ工科大学で建築の修士課程を修了します。
彼はここで「デザインの原理だけでなくコラボレーション・ワークのコンセプトを学んだ」とのちのインタビューで述べています。
1から全く新しいデザインを構築することが不可能である建築の世界において、いかに各世代の建築家たちがプロダクトを作ってきたかを学んだヴァージル。
自身の手掛ける数々のデザインやコラボレーションにおいて、原型から3%だけ手を加える、という取り決めを自分に課したと語っています。
「すでにある形にほんの少し手が加えられた状態が面白いんだ」と述べていたヴァージルのデザインはナイキやイケア、リモワといった多くのブランドとのコラボではっきりと示されています。
彼のこうしたデザインアプローチやサンプリングが多くのストリートキッズを魅了したのは言うまでもありません。
リカルド・ティッシが生み、キム・ジョーンズが広げた「ラグジュアリー・ストリート」という波をさらに広げたのがヴァージル・アブローでした。
オフホワイトで培ったデザインセンスをルイヴィトンで昇華させたヴァージルは、フーディやバスケットボールシューズといったストリートライクなアイテムをルイヴィトン流に再解釈し、ブランドの顧客層を大きく広げたと言えるでしょう。
出典:luxexpose
■さいごに
今回は、ヴァージル・アブロー氏の突然の訃報を踏まえ、彼の功績や生涯について書き起こしました。
常に新しいアプローチでファッション界に驚きと賞賛を生んできた彼の活動をいつも楽しみにしていただけに、これを書きながら大きな喪失感を感じています。
編集部一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。