2023年8月末、シュプリーム(Supreme)ファンにとって衝撃的なニュースが飛び込んできました。
2022年2月に同ブランドのクリエイティブディレクターに就任したばかりのトレマイン・エモリー(Tremaine Emory)が、わずか1年半でブランドを去ることが発表されたのです。
人々を驚かせたのは、トレマインが退任の理由について「人種差別」と発言したこと。
これに対しシュプリームは「トレマインの主張を真摯に受け止める」としつつも、人種差別という評価には同意できないと声明を発表。
シュプリームの2023年FWシーズンが始まったばかりだったこともあり、大きな話題となりました。
今回の記事ではこのトレマイン・エモリーのシュプリーム脱退を徹底分析。
彼の思想の原点とアメリカ社会の現状を紐解くことで、事件の真相をどこよりもわかりやすく解説します。
ぜひ最後までご覧ください。
目次
- ■トレマイン・エモリーとシュプリーム、そして突然の退任劇
- ■BLM運動とトレマイン、ヴァージル、そしてカニエ
- ■トレマイン・エモリーの感じた絶望
- ■トレマイン・エモリーのクリエイションと思想
- ■まとめ:シュプリームはどうトレマインと向き合うべきだったのか
- ■さいごに
■トレマイン・エモリーとシュプリーム、そして突然の退任劇
・トレマイン・エモリーとはどんなデザイナーなのか?
本題に入る前に、そもそもトレマイン・エモリーとはどんなデザイナーなのかについて触れる必要があるでしょう。
トレマイン・エモリーはマークジェイコブスやステューシー、そしてカニエ・ウェストのクリエイティブコンサルタントなどを経て、2019年に自身のブランドとなるデニムティアーズ(DENIM TEARS)を立ち上げ。
「デニムの涙」と名付けられたこのブランドは、ブラックカルチャーに関するメッセージ性やストーリーに重きをおいたブランド。
かつて綿花やインディゴのプランテーションに従事した黒人奴隷に思いを馳せたアイテムを多数リリースしています。
過去のインタビューでトレマインは『ファッションではなく、スタイル/ストーリーテリング/コミュニティを重視する』と述べており、この発言は彼のデザイナーとしての立ち位置を力強く表していると言えるでしょう。
出典:complex
そんなトレマイン・エモリーは2022年2月にストリートブランドの雄、シュプリームのクリエイティブディレクターに就任。
30年近いブランドの歴史における初の黒人ディレクターだったこともあり、トレマイン流のシュプリームがどのように形作られるのかに大きな注目が集まっていました。
なお、歴代のシュプリームのディレクターやデザイナーについてはこちらの記事にて詳しく解説しております。
・予定していたコラボのキャンセルが原因?
出典:nytimes
しかし、期待感に満ちていたトレマイン・エモリーによるシュプリームは、たった1年半で突然終了。
退任劇の発端となったのは、トレマイン・エモリーがディレクターとして企画していたシュプリームとアーサー・ジャファ(Arthur Jafa)のコラボレーションでした。
※アーサー・ジャファ
出典:nytimes
アーサー・ジャファはブラックカルチャーに寄り添ったアーティスト。
ヒップホップ文化との結びつきも強く、Jay-Zやカニエ・ウェストのMVなども手掛けてきた人物です。
トレマインはそんなジャファが手がけた作品のいくつかをピックし、シュプリームのアパレルに落とし込んだアイテムの制作を企画していたのです。
しかし、あるときシュプリームの創業者であるジェームズ・ジェビアが、コラボコレクションで使用予定だったアート作品のうち、2つをトレマインに相談なく排除したとのこと。
ちなみに当該作品のひとつめは、鞭で打たれた背中の傷を見せる元奴隷をかたどった「Ex-Slave Gordon (2017)」。
ふたつめはリンチされ吊るされた黒人と、それを囲んで笑顔を見せる白人のスナップ、そして銃を持つ黒人のスナップがコラージュされた「I Don’t Care About Your Past, I Just Want Our Love to Last, (2018)」であったとされています。
一方的な決定に疑問を抱いた彼は、チーム・シュプリーム内での会議にて本件を問題提起。
しかし、会議の場でこの問題提起そのものもチームから批判されたとトレマインは述べ、シュプリームの態度は組織的な人種差別だと感じたとしています。
ワシントンポストの記事にてトレマインは
「一方的な決定ではなく、どの作品をコラボで使用するかを、事前に話し合うことはできなかったのか?」
と語っています。
シュプリームとの仕事を継続できないと感じたトレマインはブランドと決別。
8月30日にはトレマインのシュプリーム退任というニュースが世界を駆け巡ることとなりました。
・シュプリームの反応
退任に際してトレマインが語った主張に対し、シュプリーム側も声明を発表。
「トレマインの(組織的な人種差別という)懸念は真摯に受け止めつつも、同意はできない。アーサー・ジャファのコラボについてもキャンセルはされていない」
「私たちはトレマインとの関係がうまくいかなかったことを残念に思っており、彼の今後の幸運を祈っている」
と発信しました。
なお、この「コラボはキャンセルされていない」という発信については、退任直後の報道では「シュプリームがアーサー・ジャファとのコラボそのものを中止した」という論説が流れたことに対する訂正だと思われます。
・ブラックコミュニティの反応
トレマインの突然の退任劇には、ファッション界のみならず多くの著名人が反応。
彼の主張に賛同を唱える人も多かった一方、シュプリームがコラボ企画から排除したアーサー・ジェファの作品の特性を踏まえると、ブランドの判断は正しかったとの意見も噴出。
ブラックコミュニティからも、黒人に対する暴力描写を直接的にアパレルアイテムに組み込もうとしたことへの疑問の声が多数投げかけられました。
ジャーナリストのシャミラ・イブラヒム氏(Shamira Ibrahim)もその一人。
彼女はX(Twitter)を通じて、
「黒人が吊るされ鞭打たれる様子を描いた衣服は、いったい誰が着るべきなんだ?」
と発信。
また、スニーカーカルチャーに詳しいマイク・サイクス氏(Mike D. Sykes, II )は、自身のスニーカーニュースレター「The Kicks You Wear」にて、シュプリームがトレメイン・エモリーのキャリアを救ったと記述。
シュプリームが排除した2つの作品は社会的な議論を呼ぶためのアート作品であるとしたうえで
「これらの作品をアパレルアイテムとして販売することは、トラウマを利益に変える行為」
であると、強く非難しました。
■BLM運動とトレマイン、ヴァージル、そしてカニエ
ここまで、トレマイン・エモリーのシュプリーム退任の経緯と、それに対する反応について紹介しました。
本章ではトレマイン・エモリーの思想を分析すべく、彼と同じく著名なファッショブランドのディレクターを務めた黒人デザイナーである、ヴァージル・アブローとカニエ・ウェスト(Ye)をピックアップ。
近年大きな話題となったブラック・ライヴズ・マター、いわゆるBLM運動に対する3者の反応を比較することで、トレマインの立ち位置を考えます。
・全米に広がったBLM運動
出典:britannica
2014年、警察官の手によって立て続けに起きた黒人に対する過剰な暴力事件。
エリック・ガーナーとマイケル・ブラウンという2人の死者をだしたこの事件によって生まれた「ブラックライブズマター」というスローガンは、2020年に5月25日にミネアポリスで発生したジョージ・フロイド死亡事件によって世界中に大きく広まることとなりました。
このブラックライブズマター、いわゆるBLM運動は抗議デモとして全米に広がり、多くの著名人や大企業も、運動への連帯や賛同を表明。
そんな中、BLM運動に対する向き合い方が大きく注目を集めたのが、当時オフホワイトやルイヴィトンを手がけていた故ヴァージル・アブローと、YEEZYで知られるカニエ・ウェスト、そしてトレマイン・エモリーだったのです。
※トレマイン(左)とヴァージル(中央)、そしてカニエ(右)
出典:cassiuslife
・トレマイン・エモリーからみたBLM運動
トレマイン・エモリーはBLM運動に対し全面的な賛成の立場を表明。
運動の支援にあたって、1992年に起きたロサンゼルス暴動の写真をプリントしたTシャツをリリース。
トレマインがロサンゼルス暴動をTシャツのモチーフとしたことは、BLM運動が一部過激化し暴動や略奪が多発していることも含めて、彼が賛意を示していると受け取られました。
・ヴァージル・アブローからみたBLM運動
2010年代のストリートシーンを代表するブランド、オフホワイト(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH)を立ち上げ、黒人として初めてルイヴィトンのディレクターとなった故ヴァージル・アブロー。
当初BLM運動に好意的だったヴァージルは、トレマイン・エモリーを含むデザイナー仲間とBLM運動へのチャリティーアイテムを製作していました。
しかし、BLM運動に乗じた暴動や略奪行為によって、ヴァージルの友人であるショーン・ウェザースプーンのショップが襲撃されると、インスタグラムにて非難声明を発表。
この声明がBLM運動への批判と捉えられ、大きく炎上することとなります。
これらの批判を受け、ヴァージルは
「抗議運動を行う権利よりも、友人の店舗や商品を重要視していると捉えられるコメントであった」
と謝罪に追い込まれることとなりました。
・カニエ・ウェストからみたBLM運動
ラッパーとしても大きな功績を残し、自身の手がけるYEEZYを含め世界的なファッションアイコンとして知られているカニエ・ウェスト。
先に述べたヴァージル・アブローやトレマイン・エモリーは、どちらもかつてカニエ・ウェストの元で働いていた人物でもあります。
そんなカニエは、BLM運動に対し真っ向から否定的な態度をとった数少ないアフリカ系アメリカ人。
運動の発端であるジョージ・フロイド氏の死因やBLM運動そのものを「詐欺だ」と断じ、のちに2022年のYEEZYのファッションショーでは、「WHITE LIVES MATTER」と書かれたTシャツを着用したことで大きく非難を呼ぶこととなります。
・ヴァージルの死と、トレマイン/カニエの確執
2020年5月に生まれた大規模なBLM運動から、1年半後。
2021年11月28日にヴァージル・アブローは死去。
心臓血管肉腫という心臓にできる癌によるもので、享年41歳でした。
このヴァージルの死はのちに、かつて同じ釜の飯を食べたカニエ・ウェストとトレマイン・エモリーの決別へとつながることに。
2022年の10月3日、カニエ・ウェストがYEEZYシーズン9のファッションショーにてWHITE LIVES MATTERのTシャツを着用。
出典:andscape
この文言はBLM運動に対する差別助長的なカウンターメッセージだと捉えられ、多数の非難を浴びることとなりました。
ショーの同日カニエは、インスタグラムを更新。
「Black Lives Matterが詐欺であったことは誰もが知っている。これで終わりだ。どういたしまして」といったメッセージや、ルイヴィトンを擁するLVMHのCEOベルナール・アルノーが「私の親友(=当時ルイヴィトンのディレクターだったヴァージル)を殺した」と発信しました。
これに対してトレマインは「『私は被害者だ』キャンペーンにヴァージルを利用するな。なぜあなたがヴァージルの葬儀に招待されなかったのかを言ってみろ」とカニエを強く非難。
カニエもトレマインがシュプリームの新しいBLM担当者だと反撃。
トレマインがシュプリームのディレクターになれたのは、「あなたが黒人で、以前私の下で働いていて、ヴァージルのことを知っていたから」だと続けました。
※カニエが製作した、トレマインを皮肉ったTシャツとロゴ
■トレマイン・エモリーの感じた絶望
ここまでの章では、トレマインの退任に対する反応や他の黒人デザイナーとの比較を通して、同じブラックコミュニティの中においてもその思想は千差万別であることを解説しました。
本章ではトレマイン・エモリーの過去の発言をもとに、彼がファッション業界に抱いていた思いが、どのようにしてシュプリームの退任につながったのかを分析します。
・トレマインの常套句「トロイの木馬」の意味
出典:worldclub
トレマイン・エモリーの過去のインタビュー記事を読み漁っていると、彼の口から「トロイの木馬(TROJAN HORSE)」という言葉がたびたび出てくることに気が付きます。
トロイの木馬とは、かつて戦争において劣勢だったギリシア人が巨大な木馬を製造し、中に身を潜めたという寓話。
勝利したと勘違いしたトロイア人が、戦利品としてこの木馬を自らの城内に引き入れてしまったことで、木馬の背から出てきたギリシア人によって滅ぼされてしまったというストーリーです。
トレマインはこの寓話をもとに、数千年にわたって世界を動かしてきた西洋白人男性のインフラに、自身を含む有色人種や女性、その他被支配者が侵入するための手段がトロイの木馬だったと表現。
出典:vogue
ファッション業界においては、ヴァージル・アブローが有色人種として初めてフランスのメゾンブランドたるルイヴィトンのディレクターとなったことが、トロイの木馬の背が開いた分水嶺となったと語っています。
COMPLEXのインタビューでは、2018年のヴァージルの転機が起こらなければ才能のあるなしに関わらず、自身のシュプリームでの仕事もありえなかったと発言。
つまり、白人男性中心だったファッション業界が自ら招き入れたトロイの木馬。
その中に潜んでいたヴァージルが先頭となって木馬の天井を開き、トレマインがそれに続いたと主張したのです。
・シュプリームでのトレマインは「マスコット」だったのか
出典:niood
ここで、トレマインのシュプリーム退任劇に話を戻しましょう。
退任のきっかけ、すなわちシュプリームが彼に断りなくアーサー・ジャファの作品の一部を排除したことに対し、トレマインは「(自身が)マスコットであるように感じた」と述べています。
これは筆者の仮説ではありますが、トレマインはヴァージルのルイヴィトン就任、すなわちトロイの木馬の背が開いたことで、ビッグブランドが人種の色眼鏡抜きにデザイナーの才能を正しく評価するようになったと考えていたのではないでしょうか。
しかし、そんなトレマインの考えを打ち砕いたのが、今回のアーサー・ジャファコラボを巡るシュプリームの対応。
トレマインの「マスコット発言」には、シュプリームが自分の才能を正しく評価してディレクターに招聘したのではなく、“ブランド初の黒人ディレクター”というマスコットを求めただけだった、と感じた彼の悲哀が窺えます。
また、カニエがかつてトレマインに発した「シュプリームの新しいBLM担当者」というレッテルは、皮肉にもある意味では正しかったとトレマインに思わせたかもしれません。
その後、トレマインは本件を通じて感じ取ったシュプリームの態度を「組織的な人種差別」と述べ、これを正しく理解するために読むべき本としてインスタグラムにて『White Fragility: Why It’s So Hard for White People to Talk About Racism』という書籍を紹介。
同書では現代社会に根付く人種差別が従来のようなあからさまで意識的なものではなく、無意識的かつ組織的なものであると主張しています。
■トレマイン・エモリーのクリエイションと思想
本章ではよりトレマイン・エモリーの思想や価値観に迫るべく、彼の過去のクリエイションや、これまでの反差別運動の歴史を振り返ります。
・米国旗や英国旗を汎アフリカ旗のカラーで塗り替える
2019年に自身のブランドとなるデニムティアーズ(DENIM TEARS)を立ち上げして以降、トレマインは自身のブラックヒストリーに対する思いを、同ブランドのクリエイションを通じて常に発信してきました。
かつて黒人奴隷が従事した綿花栽培プランテーションを表現した花柄デニムは、ブランドのアイコンとして有名。
しかし、彼がこの白い綿花デザインと同じく多用するもう一つのブランドアイコン、すなわち汎アフリカ旗デザインについては、日本であまり知られていません。
出典:1-800flags
全世界に散らばるアフリカ系住民の解放や連帯を訴えた思想、通称パン・アフリカ主義。
この思想を体現する旗として生まれた汎アフリカ旗は、流した血の赤色、肌の黒色、大地の緑色の三色から成り立っています。
そんな汎アフリカ旗をトレマインはデニムティアーズにて多用。
アメリカの星条旗やイギリスのユニオンジャックを汎アフリカ色に塗り替えることで、アフリカ系住民が欧米諸国から搾取されてきた歴史への反発を表現していました。
かつて故ヴァージル・アブローは自身の個展“FIGURES OF SPEECH”において、汎アフリカ旗カラーを落とし込んだシュプリームのボックスロゴTを製作。
しかし、トレマイン・エモリーはブランドロゴどころか国旗に手をつけたということもあり、より一歩踏み込んだ表現であるように感じます。
・トレマインによって引き継がれたヴァージルのデザイン
ヴァージル・アブローが、オフホワイトを創設する前に作った伝説のブランド、パイレックスヴィジョン(PYREX VISION)。
出典:hypebeast
トレマイン・エモリーはヴァージルの死後、2022年にこのパイレックスヴィジョンを再開することとなります。
各所にパイレックスティアーズ(PYREX TEARS)の文字が描かれていたこれらのアイテムは、かつてヴァージルが作り上げたパイレックスヴィジョンのアートワークを進化させたかのようなデザインに。
例えば、かつてヴァージルはパイレックスヴィジョンにてブランドロゴと共にマイケル・ジョーダンの背番号である「23」をバックプリントしたアイテムを製作。
これに対しトレマインはパイレックスティアーズにて、マイケル・ジョーダンが復帰した際の背番号である「45」を採用したアイテムを製作しました。
また、何より印象的だったのはセッコ・カラヴァッジョの「復活」をプリントしたフーディ。
かつてヴァージルはミケランジェロ・カラヴァッジョの「キリストの埋葬」をパイレックスヴィジョンのアイテムでプリント。
これに対してトレマインは“もう一人のカラヴァッジョ”にして、かつてミケランジェロと師弟関係にあったセッコ・カラヴァッジョの作品を採用したのです。
また、トレマインが提案したキリストの「埋葬」に対する「復活」というダブルミーニングは、まさしくヴァージルのクリエイションの復活を指し示す優れたメッセージだったと言えるでしょう。
ただ、ヴァージルが採用した「キリストの埋葬」が原典通りだったのに対し、トレマインはあえて「復活」におけるキリストを黒人であるかのように黒塗り加工。
このように、トレマインはヴァージルのデザインの継承を表現しつつも、彼自身の価値観を混ぜ込むことを忘れませんでした。
トレマイン・エモリーが度々行う、国旗や歴史的な絵画の改変。
その根底にある彼の思想を読み解くために、次章ではアメリカにおける人種差別反対運動と、その際にしばしば起きる略奪行為の歴史に触れたいと思います。
・キング牧師とマルコムX
アメリカの人種差別反対運動の歴史を紐解く上で、避けては通れないのがキング牧師とマルコムX。
二人は同時代の黒人解放運動の指導者ではあったものの、その思想や生い立ちは対照的。
キング牧師は中産階級のキリスト教牧師の家に生まれ、大学を優秀な成績で卒業するなど、恵まれた環境で育ちます。
対するマルコムXは宣教師の父を白人によって殺されたあげくに警察は事件認定を拒否。
大黒柱を失った母親は生活苦から発狂し、マルコムX自身は中学校までしか通うことができませんでした。
1950年代、キング牧師は平和的な公民権運動を主張し、白人と黒人の融和を訴えます。
対するマルコムXは、非暴力主義では白人の暴力的な黒人排撃に立ちむかうことが出来ないとし、必要であれば暴力も辞さないと主張。
出典:sportingnews
当時、運動の主流はキング牧師の側にあり、マルコムXの思想は「過激派」と捉えられていました。
なお、最後まで活動を共にすることはなかったキング牧師とマルコムXですが、1964年3月に公民権法案審議中の議会構内で、偶然両者が遭遇し言葉を交わしたと記録が残っています。
研究によればこの頃からマルコムXは白人敵視や暴力主義では運動が進まないと気づきはじめており、対するキング牧師は公民権を実現しても黒人の雇用や住居での差別が続けば問題は解決しないのではないか、と考えていたとされています。
しかし、その後マルコムXは1965年2月、キング牧師は1968年4月、ともに39歳で凶弾に倒れることとなります。
・なぜ彼らは略奪行為を肯定するのか
出典:yahoo
1960年代以降も連綿と受け継がれてきた人種差別反対運動。その中で度々議論の的となってきたのがデモ活動に乗じた略奪行為です。
2020年に全米で起こったBLM運動においても、各地で発生した略奪行為。
これを批判した故ヴァージル・アブローが逆に大きく非難を受け謝罪に追い込まれたのは先に述べた通りです。
一見正当性が感じられないこうした略奪行為ですが、アメリカではこれを数百年にわたって搾取されてきた資源の再分配とする意見が存在します。
出典:nhk
つまり、かつてアメリカが行ってきた先住民の土地の略奪や黒人奴隷の使役の方が遥かに大きい制度的略奪であり、この行為はマルクスの資本論で言うところの「収奪者からの収奪」であるとする論です。
デモ運動に端を発する暴動や略奪は、積年の制度的な収奪に対する「払い戻し要求」なのであるとするこの考えは、国旗や絵画の改変を繰り返すトレマイン・エモリーの思想にも通ずるのではないでしょうか。
・ロサンゼルス暴動とトレマイン・エモリー
出典:nishinippon
トレマイン・エモリーが2020年のBLM運動の際に製作したTシャツは、この仮説を強く裏付けているように感じます。
Tシャツに起用されたのは、1992年のロサンゼルス暴動にて撮られた1枚のスナップ。
出典:highxtar
ロサンゼルス暴動とは、ロドニー・キングという黒人男性がスピード違反容疑で警察から追われた際、警官らから激しい暴行を受けたことをきっかけとする出来事。
暴行の容疑で起訴された警官ら4名が無罪判決となったことに対し、黒人社会は激しい抗議活動を展開。
その一部が暴徒化する事態となったのです。暴徒化した群衆は略奪行為や打ち壊しを実施。
死者63人、負傷者約2,400人、火災発生約3,600ヵ所、金額にして10億ドルに及ぶ損害をもたらしました。
こうしたバックグラウンドを踏まえてなお、ロサンゼルス暴動の写真をトレマインが選んだことは、彼の価値観や思想を如実に表していると言えるでしょう。
・ロサンゼルス暴動から考える組織的な人種差別
なお、ロサンゼルス暴動によって起きた被害は、当初の彼らの標的だった白人ではなく韓国系コミュニティに集中。
これは暴動発生後、ロサンゼルス市警が白人居住地域での防御態勢を固めた一方で、コリアンタウンを放置したことが要因。
白人居住地域に行けなくなった暴徒たちは、行きどころの無い怒りと破壊願望を隣接するコリアンタウンに向けることとなったのです。
一連の暴動の後、紆余曲折や反対意見を経て、最終的に黒人コミュニティと韓国系コミュニティは連帯を発表。
韓国系コミュニティは、直接的な加害者=黒人ではなく、間接的な加害者=ロサンゼルス市警への対峙を決定したのです。
ロサンゼルス市警の対応を振り返ってみると、トレマインがシュプリームを非難する際に主張した組織的な人種差別と呼ばれるものが、当時の黒人コミュニティのみならず、韓国系コミュニティに対しても行われていたと言えるでしょう。
■まとめ:シュプリームはどうトレマインと向き合うべきだったのか
ここまで、トレマイン・エモリーというデザイナーの思想や価値観について、様々な方面から分析を行ってきました。
トレマイン・エモリーという人物についてまとめるとするならば、彼はキング牧師やマルコムX、そして今日まで続いてきた差別反対運動をもってしても変革しない社会に、ファッションの世界から対峙するアーティストだと言えるでしょう。
アーサー・ジャファとのコラボ企画において、対話ではなく一方的な決定をシュプリームから押し付けられた(と感じた)トレマイン・エモリー。
これは彼に「シュプリームに組織的な人種差別が蔓延っている」という疑念をもたらしただけでなく、ヴァージル・アブローのルイヴィトン就任によって芽生えた、「人種を抜きに才能を評価してくれるファッション業界」が砂上の楼閣であったと感じさせたのではないでしょうか。
出典:complex
こうした仮説を踏まえると、シュプリームはそもそもトレマイン・エモリーをクリエイティブディレクターに起用すべきでなかったと感じます。
シュプリームはスケーターカルチャーをバックボーンに、ブラックカルチャーのみならずありとあらゆる思想や価値観を約30年にわたってファッションに落とし込んできたブランド。
トレマイン・エモリーがブランドの全てを監修するクリエイティブディレクターではなく、単発のコラボ相手としてシュプリームと向き合っていたならば。
もしくは、トレマインの思想や価値観をシュプリーム側がより深く理解し、密な対話を行えていたならば、と思えてなりません。
■さいごに
単一民族国家として長らく続いてきた日本にいる限り、ときに「収奪者からの収奪」をも肯定するトレマインの価値観は容易に理解し難いかもしれません。
しかし、近年の日本においても安倍晋三元総理の暗殺や、岸田文雄総理襲撃事件などが立て続けに発生。
これは今まで通りの政治参加や平和的なデモ活動では現状がいつまで経っても変わらないことへの怒りから、暴力的な手段による社会変革が目立つようになったとも言えるでしょう。
18世紀末から連綿と続いてきた奴隷制廃止運動や人種差別反対運動。
トレマインが感じている未だ「組織的な人種差別」を拭えていないアメリカ社会、すなわち「社会が本当の意味で変わっていない」空気は、日本社会に蔓延する停滞感ともよく似た香りをしています。