大人気ストリートブランド、シュプリーム(Supreme)。
毎週ドロップされる新アイテムには多くのファンが群がり、あっと驚くようなコラボレーションやハイプなアイテムに人々は魅了され続けています。
今回の記事では、そんなシュプリームの立ち上げ初期のデザインメンバーにフォーカス。
こうしたシュプリームのクルーのエピソードは、たとえシュプリームを日常的に追っている人でも殆どが知らない情報。
今回の記事では、そんな彼らの来歴をシュプリームのブランド創世記のエピソードと共にご紹介。
マニアックな記事ではありますが、ぜひ最後までお付き合い頂けますと幸いです!
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目次
- ■ジェームズ・ジェビア(創設者)
- ■ブレンドン・バベンジン(デザイナー・プロダクト開発)
- ■ジェフ・ヒース(デザイナー・グラフィック)
- ■オーギー・ギャラン(デザイナー・生地と構築的デザイン)
- ■さいごに
■ジェームズ・ジェビア(創設者)
出典:wwdjapan
最初にご紹介するのはシュプリームの創設者、ジェームズ・ジェビア(James Jebbia)。
1963年7月22日にニューヨークのマンハッタンで誕生したジェビアは1歳から19歳までをイギリスのウェストサセックスのクローリーで過ごし、学園ドラマの子役や電池メーカーのライン工などを経験。
19歳で出生の地ニューヨークに戻ると、ソーホーにある高級セレクトショップ「パラシュート」に就職します。
その後、パラシュートでの経験や趣味のフリマ開催などを経てセレクトショップ「ユニオン(UNION)」をオープン。
西海岸スケーター/サーフブランドの雄「ステューシー(STUSSY)」を手がけるショーン・ステューシーとの交流から東海岸におけるステューシーの店舗運営などを経て、1994年にシュプリームをオープンしました。
こうしたジェームズ・ジェビアの歴史はシュプリーム好きであれば誰もが知るところ。
ここからは、そんなジェビアをシュプリーム立ち上げ初期に支えた3人のデザインクルーについて詳しくご紹介できればと思います。
なお、ジェームズ・ジェビアについてはこちらの記事でより詳しく解説しております。
気になった方は是非合わせてご覧ください。
■ブレンドン・バベンジン(デザイナー・プロダクト開発)
出典:brutus
シュプリームの初期クルーの中では、ブレンドン・バベンジン(Brendon Babenzien)がおそらく最も有名な人物だと言えるでしょう。
ニューヨーク南東部ロングアイランド出身の彼は、地元の友人であるドン・バスワイラー(Don Busweiler)と共にストリートブランド「Pervert」を運営。
1995年にドンがカルト宗教にハマりブランドが空中分解すると、ジェームズ・ジェビアがブレンドン・バベンジンをリクルート。
なんとジェビアはセレクトショップ「ユニオン」時代にPervertを店に置いていた経緯から彼に目をつけていたのです。
1996年にブレンドン・バベンジンはプロダクト開発・デザイナーとしてシュプリームに入社。
当時24歳だったバベンジンは初期シュプリームのアイテムデザインを手がけるかたわら、後述するジェフ・ヒースなどにシュプリームでの業務の一部をアウトソース。
Pervert時代のバベンジンの同僚でもあったヒースものちにシュプリームへと就職することとなります。
創業初期のシュプリーの屋台骨だったブレンドン・バベンジンは、2002 年に自身のブランド「ノア(NOAH)」を立ち上げるべくシュプリームを退社。
しかし、残念ながら1度目の挑戦は成功に終わらず、2006年にシュプリームに復帰すると、翌年ノアをたたむこととなります。
古巣シュプリームに戻ってきたバベンジン。
今度はクリエイティブディレクターとしてシュプリーム全体のアイテムや店舗、ブランディングなどの監修を担当。
以降のシュプリームのブランドとしての躍進を思うと、彼こそがシュプリームを今日の成功に導いた立役者と言っても過言ではないでしょう。
復帰以降、約10年にわたってシュプリームの成長を支えたブレンドン・バベンジンでしたが、2015年に再びシュプリームを去りノアを再開。
今度はブランドのコンセプトにサステナビリティを加え、現在では高い人気を誇っています。
なお、ノアについてより詳しく知りたい方は、是非こちらの記事をご覧ください。
■ジェフ・ヒース(デザイナー・グラフィック)
出典:linkedin
様々なアーティストやポップカルチャーをピックし、Tシャツなどに落とし込んだアイテムはシュプリームの定番商品。
そんなシュプリームの人気アイテムの礎を築いたのがこのジェフ・ヒース(Geoff Heath)です。
マサチューセッツ州ウースターで生まれ、アトランタとマイアミで育ったジェフ・ヒース。
14 歳のときに母親からスクリーン印刷キットをもらい、T シャツプリントに熱中する青春時代を過ごしました。
前述のブレンドン・バベンジンと共にPervertチームに加わったジェフ・ヒースはペンや紙、ゼロックスのマシンだけを使って Pervert のグラフィックをデザイン。
1995年にブランドが崩壊すると、2人は一時的に別のストリートブランド、マンカインド(Mankind)に入社。
しかし、このマンカインドも資本家の破産によって早々に消滅し、ブレンドン・バベンジンはシュプリームのクルーとしてNYに飛び、ジェフ・ヒースはDJとしてマイアミに残ります。
マイアミでDJ活動に勤しんでいたジェフ・ヒースでしたが、バベンジンは彼に衣類ラベルのタグ作成などのシュプリームの仕事を外注。
そのうちバベンジンに促されるままにニューヨークでシュプリームにフルタイムで入ることとなります。
シュプリームにとって最初に雇ったグラフィックデザイナーとなったジェフ・ヒース。
ブレンドン・バベンジンとジェームズ・ジェビア弟、ダンと共にエルドリッジ・ストリートにあるアパートで共同生活をスタートします。
ヒースの仕事は主にシュプリームがサンプリングすべき素材を見つけ出し、それをTシャツなどに落とし込むこと。
インターネットがまだ未発達だった1998年当時、ヒースはグラフィックデザインの素材を求めて博物館や図書館、書店、そしてニューススタンドをめぐる日々を過ごします。
中でも彼が頻繁に訪れたのは13 番街にある教会の地下室。
そこには最新のヴォーグ『ヴォーグ』誌や『マドモアゼル』誌、『スポーツ・イラストレイテッド』誌などの雑誌が置いてあり、これらをベースにシュプリームは数々の人気アイテムをリリースすることとなります。
こうしたグラフィックデザインは当然今日においては著作権法違反まったなしではあるものの、当時のシュプリームの行いに目くじらを立てたのは、ルイヴィトンのモノグラムを盗用されたLVMHグループぐらいのものでした。
ジェフ・ヒースが手がけた当時のシュプリームのアイテムの中には、LVMHを激怒させ、最終的にその殆どが焼却されたモノグラム・ボックスロゴTや、ジェビアがザ・ソプラノズを好きだったことから誕生した、ボックスロゴの「R」を拳銃に置き換えたTシャツなどがあります。
そんなヒースは2004年にシュプリームを退社。
後述するオーギー・ギャランと共に手がけたブランド「Acapulco Gold」や、全米最大のスニーカーショップチェーン「フットロッカー」のブランドマネージャー、そして新進気鋭のセレクトショップ兼ブランド「キス(KITH)」のシニアデザイナーなどを歴任しています。
■オーギー・ギャラン(デザイナー・生地と構築的デザイン)
出典:hypebeast
シュプリームの3人目のデザインクルーであるオーギー・ギャラン(Augie Galan)はキューバのカマグエイ生まれのニューヨーク州クイーンズ育ち。
シュプリームの創設者であるジェームズ・ジェビアが手がけたセレクトショップ「ユニオン」で1997年に働き始めたギャラン。
すでにシュプリームに就職していたジェフ・ヒースがユニオンのクリエイティブも手伝うようになったことから、ヒースとギャランは出会います。
オーギー・ギャランにはバベンジンやヒースのようなデザイン経験はありませんでしたが、彼はスケボーショップで働いたこともある生粋のスケーターでした。
ヒースやユニオンの創設者であるジェームズ・ジェビアとの交流を通じてシュプリームを知ったオーギー・ギャラン。
彼が当時を振り返ったCOMPLEXのインタビューによると、ジェームズ・ジェビアの仕事に対する厳しさは凄まじかったとのこと。
シュプリームを立ち上げ、ユニオンの運営から殆ど身を引いたはずのジェビアは毎朝車でユニオンの前に乗り付け店舗をチェック。
当時ユニオンのスタッフだったギャランは「110%のパワーで仕事をしなければ明日には席が無くなる」と常にプレッシャーを感じていたと語っています。
出典:wrldwde
ジェビアのプレッシャーはギャランがシュプリームに異動してからも継続。
シュプリームでの仕事を開始してきたから2日目、様子を確認するために電話を掛けてきたジェビアに対し、ギャランが「全て順調です」と答えるとジェビアは激昂。
Fワードを交えながら「『全て順調』などあり得ない。全力で仕事をしろ」と10分にわたってお説教を受けたギャラン。
以降彼を含む「チーム・シュプリーム」は猛烈な勢いで働くこととなります。
時には構想から店舗での販売まで約4ヶ月で完了する、という当時としては異常なスピードでアイテムのデザインや製造、発売を行っていたチーム・シュプリーム。
しかし2006年にギャランはシュプリームを去り、ヒースと組んでニューヨークのストリートウェアブランド「Acapulco Gold」を立ち上げ。
シュプリームからは離れたものの、彼は現在でもシュプリーム時代の学びを胸に、ストリートファッションの世界に身を置いています。
■さいごに
今回の記事では、ほとんどのシュプリーム好きが知らない、ブランド立ち上げ初期のクルーにフォーカスしてご紹介致しました。
1994年の立ち上げ当初は、当然今のような大人気ブランドではなく、ニューヨークの片隅に居を構える小さなスケートショップだったシュプリーム。
しかし、創世記とも言えるこの時期に作られたアイテムデザインやブランドの精神は、今のシュプリームにも脈々と受け継がれています。
FashionArchive.comではどこよりも詳しいシュプリーム関連の情報を発信中。
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