ダッドスニーカーブームの火付け役、Triple Sに始まり、直近では3XLやRhinoといったシューズが人気なブランド「バレンシアガ(Balenciaga) 」。
今や「ストリートファッションの代表格」として位置づけられているバレンシアガですが、本ブランドが100年の歴史を持つメゾンだったことはあまり知られていません。
今回の記事では若者を中心に絶大な人気を誇るバレンシアガにフォーカスし、歴史や、人気の理由をどこよりもわかりやすく解説。
ぜひ最後までご覧ください。
-
目次
- ■クリストバル・バレンシアガ
- ■バレンシアガの創業
- ■ディオールと競うように革新的なデザインを提案
- ■クリストバル・バレンシアガの引退とブランド低迷
- ■ニコラ・ジェスキエールによる再起
- ■アレキサンダー・ワン期で再び低迷
- ■デムナ・ヴァザリアによって大人気ブランドとして復活
- ■豆知識:マルタン・マルジェラとデムナ・ヴァザリア
- ■バレンシアガの人気アイテム/コラボアイテム
- ■有名人着用
- ■さいごに
■クリストバル・バレンシアガ
バレンシアガの創業者、クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga Eizaguirre)は1895年にスペインのバスク地方、ゲタリアという漁村で生まれます。
裁縫師だった母親の下で幼少期を過ごすうちに自身も洋服づくりに魅せられ、12歳の時には洋裁師見習いとしてキャリアをスタート。
彼のその後の人生を決定付けたのは10代後半の時。
当時ゲタリアいちの高貴な身分を持っていたカーサ・トーレス伯爵夫人のスーツをリメイクしたことをきっかけに、伯爵夫人はクリストバルの顧客兼パトロンとなります。
伯爵夫人はクリストバルが洋裁師としての修業を積むためにマドリードへ行く際もパトロンとして資金援助を行っています。
■バレンシアガの創業
マドリードでの数年間の修業を経て24歳になったクリストバルは、自身の初のブティックを1919年に開店。
彼が作るプロダクトはスペイン王室や貴族から愛され、若くして成功を収めたクリストバルはバルセロナやサン・セバスティアン(リゾート地)にも支店を開きます。
1936年にスペイン内戦が勃発し閉店を余儀無くされると、彼は活動拠点をパリに移し、翌年パリのジョルジュ・サンク通りにブティックを開店。
歴史あるこの場所は2022年にバレンシアガのオートクチュールストアとして再度オープンしています。
■ディオールと競うように革新的なデザインを提案
パリで女性向けのオートクチュール(パリ・クチュール組合加盟店で注文により縫製されるオーダーメイド一点物の高級服)を制作していたクリストバルは、時代を先取りした革新的なデザインを取り入れることで人気を博します。
1950年代当時、クリスチャンディオールの影響でウエストを絞った曲線的なデザインが流行していたのに対し、バレンシアガは1955年のチュニックドレスや1957年のサック・ドレスなど、平面的なフォルムの作品を発表し、業界に衝撃と多くの支持を得ています。
余談ですが、1940年代の世界大戦の影響で物資が不足していた中、布量の節約から生まれた直線的な「ボックスライン」ファッションに対し、終戦直後の1946年創業のディオールはあえて大量の布をぜいたくに使い、ウエストを絞って女性的な曲線ラインを強調したデザイン「ニュールック」を発表して人気を博しています。
ディオールによって曲線的なデザインが流行する中、1955年にクリストバル・バレンシアガが前述のチュニックドレスのような平面的な直線フォルムを提案。
これによって再び直線ラインが脚光を浴びるさまは、まさしく「トレンドの繰り返し」を表しているように思えます。
■クリストバル・バレンシアガの引退とブランド低迷
常に斬新でトレンドを先取りするさまから「クチュール界の建築家」と呼ばたクリストバル・バレンシアガ。
以降、30年にわたってバレンシアガはココ・シャネルやジョン・F・ケネディ元アメリカ合衆国大統領、そしてその妻のジャクリーンといった著名人や上流階級から愛されます。
1968年、74歳となったクリストバルは引退を表明。
晩年はユベール・ド・ジバンシィやミラ・ショーンといったのちの名デザイナーにファッションの授業を受け持ち、1972年に死去しました。
クリストバルの死後、香水販売で知られるジャック・ボガート(JACQUES BOGART)がブランド「バレンシアガ」を所有。
1986年までは香水ブランドとして存続し、87年からプレタポルテ(既製服)コレクションを再スタートします。
1992年からはジョセフュス・メルキオール・ティミスター(Josephus Melchior Thimister)がデザイナーに就任するも、彼のコレクションは世間の評判も芳しくなく、その後5年にわたってバレンシアガは低迷期を迎えることとなります。
■ニコラ・ジェスキエールによる再起
1997年、ジョセフュス・メルキオール・ティミスターがバレンシアガの低迷を理由に解雇されると、後任として僅か26歳の若さでニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière)が、バレンシアガのクリエイティブディレクターに就任します。
ニコラは高校卒業後、70年代を代表するデザイナーであるジャン=ポール・ゴルチエの下で経験を積み、95年よりバレンシアガで働いていた人物。
彼が26歳の若さでバレンシアガの顔に抜擢されると、バレンシアガ初のクリエイティブディレクター(デザインのみならずマーケティング戦略、広告、ショップデザイン等の、ブランドイメージに関わる作業を全て統括するポジション)として、ニコラは1998年春夏コレクションをわずか4か月でゼロからデザイン。
デビューコレクションから世界に衝撃を与えます。
ニコラのデザインするハイウエストのスキニーパンツとボリュームのあるブルゾンの組み合わせや、渦巻くように広がった袖口を持ったタイトなウールのジャンプスーツなどから見られる抜群のコントラスト感覚によって、バレンシアガは息を吹き返します。
ニコラがディレクターに就任していなければ、今日のバレンシアガは存在し得なかったと言えるでしょう。
2013年にバレンシアガのデザイナーをアレキサンダー・ワンに引き継ぐと、彼はルイヴィトンのウィメンズ部門アーティスティックディレクターに就任。
ルイヴィトンにおけるニコラの活躍は、別記事に詳しく記載しております。
■アレキサンダー・ワン期で再び低迷
ニコラ・ジェスキエールの後任としてバレンシアガのクリエイティブディレクターに就任したのはアレキサンダー・ワン(Alexander Wang)。
自身の名を冠したブランドや、ユニクロ/アディダスといった多数のコラボから名前を聞いたことのある方も多いはず。
台湾系アメリカ人のファッションデザイナーとして知られる彼は、自身のブランドの成功を元に、2013年にバレンシアガに招聘されます。
しかし、ワンの手掛けたバレンシアガの評価はいまいち振るわず、最初の契約期間の更新が行われることなくわずか2年で退任となってしまいました。
人気が出ないとみるや早々にディレクターを切り替えたバレンシアガ。
かつて、ブランドが低迷していたにも関わらず、5年にわたってズルズルとジョセフュス・メルキオール・ティミスターを続投させ続けた反省があるのかもしれません。
■デムナ・ヴァザリアによって大人気ブランドとして復活
2015年にアレキサンダー・ワンの後任としてバレンシアガのクリエイティブディレクターに就任したのはデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)。
メゾンマルジェラやルイヴィトンで活躍し、2014年には自身のブランド、ヴェトモン(VETEMENTS)を立ち上げまた彼は、ヴァージル・アブローと並んで2010年代のヒーロー的なデザイナーだと言えるでしょう。
マルタン・マルジェラ、マーク・ジェイコブス、そして元バレンシアガのニコラ・ジェスキエールといった名デザイナーの元で修業を積んだ彼は、バレンシアガのクリエイティブディレクターに就任するとブランドを大幅に刷新。
ブランドが100年にわたって積み上げてきた高級感は残しつつ、大きくストリートスタイルに舵を切ったクリエイションを提案しました。
ダッドスニーカーのはしりとなったトリプルSを皮切りに、バレンシアガは歴史あるメゾンブランドから「ラグジュアリーストリート」ブランドとして若者を中心に広く認知されるようになりました。
「破壊的なファッションの作成」をデザインコンセプトにクリエイションを行うデムナ・ヴァザリアですが、これまでのバレンシアガの伝統をただ壊しながら高級素材でストリート系のアイテムを作っているわけではありません。
デムナはクリストバル・バレンシアガの引退以降行われることの無かった、オートクチュールのコレクションを2021年より再開。
こうしたクチュールコレクションもファンからは高く評価されており、デムナ体制のバレンシアガは攻守ともに隙の無い人気ブランドとして君臨しています。
■豆知識:マルタン・マルジェラとデムナ・ヴァザリア
デムナ・ヴァザリアは1981年旧ソビエト連邦のグルジア生まれのデザイナー。
2001年、ドイツのデュッセルドルフへ家族とともに移住。2006年には数々の世界的デザイナーを輩出していることで知られるアントワープ王立芸術アカデミーのファッションデザイン学科修士課程を卒業しています。
2009年にはアントワープ卒の中でも伝説的なデザイナーとして知られるマルタン・マルジェラ率いるメゾンマルタンマルジェラに入社。
デムナが入社した翌年には、マルタン・マルジェラはスタッフの誰にも告げることのないまま失踪。
デムナとマルタンの邂逅は僅か1年ではありましたが、デムナは「彼から様々な事を学んだ」とのちに語っています。
クリエイティブディレクターであるマルタン・マルジェラが去った後の「メゾン・マルジェラ」でデムナは2013年まで女性のコレクションを担当。
その後もマルタンをデザイナーとしてのルーツと敬愛するデムナは、ヴェトモンの2018年のAWにて「マルジェラ」をテーマにコレクションを行っています。
■バレンシアガの人気アイテム/コラボアイテム
・名作アイテム①:Balenciaga 3XL
・名作アイテム②:Balenciaga RHINO DERBY
・名作アイテム③:Balenciaga CHIPS Bag
・コラボアイテム①:adidas × Balenciaga Triple S
・コラボアイテム②:Yeezy Gap Engineered by Balenciaga Dove Hoodie
・コラボアイテム③:Crocs × Balenciaga Mule
■有名人着用
・バレンシアガを着用する芸能人①:平本蓮
・バレンシアガを着用する芸能人②:あのちゃん
・バレンシアガを着用する芸能人③:YE(カニエ・ウェスト)
■さいごに
今回の記事では、バレンシアガの人気の理由や歴史についてご紹介しました。
デムナ体制によるバレンシアガは年々その勢いを増しており、当分ブランドの人気は続きそうな雰囲気。
本サイトでは他にも様々なファッションブランドの歴史やアイテム解説を行なっております。
他の記事もあわせてご覧頂けましたら幸いです。
また、X(旧Twitter)/TikTok/YouTubeではWebサイトとは異なる情報発信をしておりますので、ぜひこちらもご覧ください。
各SNSのリンクはページの最下部から!