前回、当ブログではコンバースの歴史について、1840年代のバルカナイズド製法の確立からコンバース社の創業、そしてバスケットボールの普及と共にスポーツ界のトップシーンを席巻した全盛期にかけての歴史を、当時の名作スニーカーと共にご紹介しました。

今回の記事では、そんなコンバースがその後いかにして転落してゆくのかの負の歴史について解説します。
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■黄金期

1970年代に入ると、コンバース一強体制に陰りが見え始めます。
アディダス、ナイキ、リーボックなどが次々と台頭してきたのです。
1969年にリリースされたアディダスの名作、スーパースターは、それまでコンバースをはじめとするバスケットボールシューズの定番だったキャンバス地ではなく、高級感を持ったレザーを使用。
シンプルながらも美しい斜め3本線のラグジュアリーさも相まって注目を集めます。
これまでコンバース一辺倒だったバスケットボールコートにアディダスのストライプが目立つようになり、その人気は1974年に爆発。
コンバース社のお膝元であるマサチューセッツ州のプロバスケットボールチーム、ボストンセルティックスが優勝を果たすと、ファイナルMVPに輝いたジョン・ハブリチェックや名センター、デイブ・コーウェンスなどがアディダスを着用していたことで、スーパースターの注文が殺到。
アディダスはバスケットボールシューズ界のメインストリームを進み始めます。
-ナイキの台頭
ナイキも1980年代にはバスケットボール業界に参入。
1982年にリリースされたエアフォース1は今ではナイキの定番となったエアクッションシステムをバスケットボールシューズに導入した最初の1足。

足を優しく包み込むフィット感が強みだったリーボックは、1980年代のアメリカのエアロビクスブームを捉えた「フリースタイル」や、フィットネスシューズとして絶大な人気を誇った「ワークアウト」の成功を元に、80年代のスポーツ業界における売り上げNo.1の企業として名を馳せていました。
そんなリーボックが1989年にリリースしたバスケットボールシューズ「ザ・ポンプ」は、アッパー内部の空気室に適量の空気を注入することでシューズと足をピッタリとフィットさせることに成功。
近未来的な機構と抜群のフィット感は大きな話題を呼び、良好なセールスを記録しました。
この様に、各スポーツメーカーのバスケットボール業界への参入に押し出される様に、コンバースの旧来型のバスケットボールシューズはシェアを無くしてゆき、NBAの指定ブランドからも外されてしまいます。
■破産、そしてナイキによる買収へ
2001年1月、低迷が続いていたコンバース社は、ついには連邦倒産法第11章(日本で言う民事再生法)を申請し破産します。
コンバースブランド製品のマーケティングと販売はサードパーティに任せ、ライセンス料を受け取りながら再建の道を探ることを選んだのです。
コンバース社は、北米の3つの製造施設を閉鎖し、1,200人の雇用のうち約1,000人を削減。
2000年9月30日現在、2億210万ドルの資産と2億2620万ドルの負債を抱えていると発表しました。
破産からわずか2年後の2003年、コンバース社は3億1500万ドルでナイキ社に買収されます。
ナイキによって買収されたコンバースは、失っていた市場競争力をナイキの持つ販路を元に取り戻してゆくと共に、歴史あるコンバースのチャックテイラーやワンスターのソール内部にナイキのエアクッション技術を取り入れるなどの数々の施策の結果、2019年度の決算では、買収時の2億ドル強の売上高から、約10倍の20億ドルまでその業績を伸ばしています。
■さいごに
栄華を極めたコンバースが凋落した理由はシンプルに、時代の流れや競合の動きに適応できなかったことであると言えるでしょう。
今日においても数多くの人々の足元を飾るコンバースのオールスターやジャック・パーセルは、当時のデザインや製法をほとんど変えずに生産がなされている定番のスニーカーです。
そんな完成された定番スニーカーを作ってしまったがゆえに、他の企業が時代に合わせてエアロビクスやクロストレーニング用のシューズラインを拡大したり、新技術の設計や研究に数百万ドルを費やしていた最中、コンバースは歴史ある名作スニーカーたちの販売にこだわってしまっていたのかもしれません。
なお、現在日本国内で販売されているコンバース製品は、伊藤忠傘下のコンバースジャパン株式会社をベースに製作、販売がなされており、ナイキ社傘下にある米コンバース社とは完全に切り離されています。
詳しい両社の関係や、リリースされるシューズのディテールの違いなどについては、また別の機会に詳しくご紹介できればと考えております。