2021年、ナイキおよびジョーダンブランドのファンは突然降って湧いたスキャンダルに驚愕しました。
ナイキの大黒柱であるジョーダンブランドの立役者であり現会長のラリー・ミラーが自身の半生を綴った自伝本を出版。
そしてなんと本の中で彼は自身が16歳の時にギャングに所属していたことや、そこで殺人を犯し服役していたことを告白したのです。
バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンの引退後、低迷が予測されたナイキのジョーダンブランドを支え、現在に至るまでブランドに大成功をもたらしてきた敏腕経営者の突然の告白にメディア騒然となりました。
今回の記事では彼が罪を犯してからナイキ ジョーダンのトップに上り詰めるまでの半生。
そして56年の時を経て罪を公にした時のマイケル・ジョーダンやナイキ創業者フィル・ナイトの反応までをまとめました。
※動画での1分解説はこちらから!
@shu_fashionarchive.com 【実話】ナイキ会長による衝撃の告白に全米が騒然 #ジョーダン #スニーカー紹介 #実際にあった話 #雑学 ♬ NIKE DRIP – Taiyoh
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目次
- ■ラリー・ミラーが優等生からギャング、そして殺人者となるまで
- ■過去に蓋をし、真っ当なキャリアを積み上げる
- ■輝かしいキャリアの積み重ねと、過去の罪が表に出る恐怖
- ■ナイキへの転職とジョーダンブランドの立ち上げ
- ■彼がマイケル・ジョーダンに過去の罪を告白するまで
- ■さいごに
■ラリー・ミラーが優等生からギャング、そして殺人者となるまで
出典:complex
ペンシルベニア州最大の都市で、映画「ロッキー」の舞台としても有名な街、フィラデルフィア。
1949年に生まれたラリー・ミラーは小学生の頃までは学校いちの秀才で、先生のお気に入りだったそうです。
しかし、中学に入るとストリートライフに次第に引き摺り込まれるようになり、シーダー アベニューと呼ばれるフィラデルフィア西部のギャングに所属。
14歳の頃から何度か逮捕されるような生活を繰り返します。
1965年9月、当時16歳だったラリー・ミラーは仲間のギャングのひとりが殺されたことに憤り、復讐の方法を考えていました。
酷く酒に酔っていた彼はその夜最初に見た人を襲おうと街に繰り出し、不運にもラリーにでくわしたエドワード・デイビット・ホワイトは殺されることとなります。
※生前のエドワード・デイビット・ホワイトと妻ジョセフィン、息子のハサン
出典:nytimes
殺人の罪で逮捕されたラリー・ミラーは第2級殺人の罪で4年半の服役。
しかし出所後も24歳で武装強盗によって再び逮捕され、再度刑務所にて服役することとなります。
しかし。この最後の逮捕による服役を行なっていた時、刑務所に大学の授業を受けるプログラムがあったことが彼の人生を変えることになるのです。
■過去に蓋をし、真っ当なキャリアを積み上げる
出典:complex
刑務所で実施されていた教育プログラムに参加し準博士号を取得、そしてテンプル大学の会計学位を取ったラリー・ミラー。
出所後に全米の8大会計事務所(Big 8)に入ることを志したラリーはいくつかの会計事務所に応募し、その中でもアーサー・アンダーセン会計事務所の選考が進むこととなります。
幾度かの面接や、アンダーセン会計事務所の人々と会話をする中でラリーが考えたことは、「彼らに自分の過去について話すべきかどうか」でした。
逡巡の末自身の過去を面接で話すことを決めたラリーでしたが、採用マネージャーとの面接が進むにつれ、採用マネージャーの表情が次第に変わっていたことを感じた、ラリーは後に語っています。
ラリーの罪の告白を聞いたマネージャーは「素晴らしい話だった」と言いつつも懐から封筒を取り出し、「あなたには最初から仕事を与えるつもりで今日ここにきていたが、残念ながら今の話を聞くと、あなたに仕事を任せることはできない」と述べました。
「クライアントがこの事実を知った時に起きることや、将来何かが起こる可能性について、リスクを負えない」と採用を拒絶されてしまったのです。
ラリーが自身の過去について蓋をすることを決めたのはこのタイミングでした。
「聞かれた時に嘘をつくつもりはなかったが、自分から話すことは絶対にしないと決めた」彼は、その後米加工食品大手のキャンベルスープカンパニーに応募。
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キャンベルスープカンパニーに応募をした時、エントリーシートに記載されていた質問は「過去5年間に有罪判決を受けたことはありますか」でした。
前回の服役から5年以上経っていたラリーは「No」と記載。
そしてそれが、彼が自身の過去について探られた最後の機会となりました。
■輝かしいキャリアの積み重ねと、過去の罪が表に出る恐怖
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キャンベルスープカンパニーを経て、老舗水着ブランド ジャンセン(Jantzen)に転職したラリー・ミラー。
順調にキャリアを積み上げ社長にまで上り詰めた彼はしかし、常に「いつか過去の罪が表に出るのではないか」と不安やストレスを抱えていたそうです。
自分が刑務所に戻る光景や自分の過去の罪が公になる悪夢に悩まされていたラリー。
家族にさえも全てを伝えていなかった彼は、以降何十年にもわたってこの恐怖に怯え続けることとなります。
そんな中、より会社を発展させる上でこれまでのレジャー水着だけでなく、ジャンセンが競技用水着にも参入することを模索したラリー。
競技用の水着の開発にあたって、同じポートランドに本社を構えるナイキに目をつけたのです。
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■ナイキへの転職とジョーダンブランドの立ち上げ
時を同じくして水着産業へ目をつけていたナイキ。
スイムウェア開発にあたってのパートナー選定コンペを開催し、ジャンセン社とラリーはこれに参加します。
その当時のナイキのグローバルアパレル責任者はスティーブン・ゴメス。
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スティーブン・ゴメスはジャンセン社のプレゼンの後、部下たちに「残りの会社のプレゼンは見なくていい」と述べるほどの大絶賛。
こうしてナイキの契約を勝ち取ったラリー・ミラー。
この提携をきっかけにナイキのスティーブン・ゴメスとの交流が始まったラリーはある日、スティーブンからナイキに誘われます。
誘いを承諾したラリーはナイキにおけるキャリアを、米国におけるナイキアパレル部門責任者としてスタート。
入社から1年半が経った頃、アメリカのバスケットボール界ではマイケル・ジョーダンがついに引退を表明します。
これによりナイキは、「試合でマイケルがエアジョーダンを履く」という、同社最大のプロモーションが無くなることによる業績の落ち込みを懸念していました。
そこで、ナイキの創業者フィル・ナイトはラリー・ミラーに対し「ジョーダンのロゴを使ってブランドを作り上げる戦略を立ててほしい」と依頼。
そして結果はご覧の通り。
マイケル・ジョーダンのコートでの功績を余すことなく詰め込んだ「ジョーダン・ブランド」は大成功を収め、今日において50億ドルの稼ぎ出すまで成長しました。
ジョーダンブランドを率いるやいなや、9,000あったサプライヤーを半分の4,500まで減らし「ジョーダンの価値」を高める戦略を取ったラリー・ミラー。
販売チャネルを半分に減らしたことで落ち込むと思われていた同年の売上は昨対比でフラットをキープ。
そして翌年以降大成功を収めたこの作戦は、のちのナイキのプレミアスニーカー、ブランディングのコアとなってゆきます。
■彼がマイケル・ジョーダンに過去の罪を告白するまで
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かつての過ちの影に怯えつつも、輝かしいキャリアを積み上げてきたラリー・ミラー。
ナイキバスケットボールの副社長、ジョーダンブランドの社長、そして2006年にはナイキのお膝元ポートランドのバスケチーム、トレイルブレイザーズのプレジデントに就任。
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その後2012年にジョーダンブランドの社長に復帰しています。
そんな彼が蓋をしていた自身の過去について告白を行うきっかけとなったのは、長女の働きかけによるものでした。
彼女は父の罪を知って以降、たびたび「父さん、この話を人々に共有する必要がある」とラリーにはたらきかけていました。
心を動かされたラリーは約10年にわたって娘と共に、いかにしてこの話を世間に公表するかを模索。
それを本にまとめてゆくなかで、ついにラリーは2021年、マイケル・ジョーダンやナイキ創業者であるフィル・ナイトに自身の過去について告白します。
コロナ禍によってリモートで行われたこの会話にて、フィル・ナイトは「この話は再生の物語であり、広く発表しなければならない。そのためのサポートは惜しまない」と発言。
マイケル・ジョーダンも「私は(ラリーの)長女の考えに100%賛成だ。私はあなたをサポートする」と明言。
2人に後押しされたラリーは過去の罪をインタビューで発表後、書籍「JUMP MY SECRET JOURNY FROM THE STREETS TO THE BOARDROOM」を刊行。
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罪を犯した男が刑務所内のプログラムを経ていかに成功してゆくかを描いた本書籍は、更生プログラムの欠如や周囲の環境による再犯の連鎖を食い止める本として大きな支持を集めることとなります。
56年の時を経て過去の呪縛から解き放たれたラリーは「フィル・ナイト、マイケル・ジョーダンの片方でもこの告白についてネガティブな反応があったなら、話を表に出すことを躊躇っていただろう」と後にインタビューで語っています。
■さいごに
出典:nytimes
本の出版ののち、56年を経て当時殺されたエドワード・デイビット・ホワイトの家族と面会したラリー・ミラー。
突然の喪失によって女手ひとつで子供たちを育てることを余儀なくされたエドワードの妻、そして父の顔を見ることの無いまま彼を失った子供たち。
書籍の刊行を事前に彼らに通知しなかったこと、そしてエドワードを殺害したことを何度も面会の場で謝罪したラリーに対し、遺された家族は「まだ100%ではないが、彼を許そうと思う」と発言。
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