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ドリームチームでマイケル・ジョーダンが取った驚きの行動とは?!オリンピックバスケアメリカ代表とナイキ エアジョーダンの秘密。

バスケットボール発祥の国、アメリカ合衆国
世界中からトップ選手が集まり鎬を削るNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)のみならず、オリンピックでは毎回スター選手が集まるアメリカ代表『ドリームチーム』の活躍に大きな注目が集まります。

そんなドリームチームの初代メンバーを牽引したのがバスケの神様マイケル・ジョーダン
今回の記事では、そんなマイケルがオリンピック中に取った驚きの行動を解説します。

■アメリカの威信を賭けたドリームチーム


出典:thedigestweb

マイケルがNBAデビューする1980年代は、プロのバスケットボールリーグであるNBAと、あらゆるスポーツの祭典であるオリンピックの関係性が大きく変化した時期。
バスケ発祥の国であるアメリカは、オリンピックにバスケットボールが追加された1936年以降、10の大会で9度優勝
1972年のミュンヘン大会ではソ連に破れるも、「優勝して当然」の雰囲気のまま勝利を重ねてきました。

しかもオリンピックのアメリカ代表はNBAで活躍するプロ選手ではなく、大学バスケの選手を中心に構成された、いわばアマチュアチーム
それでもオリンピックの場において圧倒的な強さを見せていたのですから、いかにアメリカがバスケットボールの世界で強さを持っていたかが伺えます。


出典:thedigestweb

そんなバスケアメリカ代表が屈辱に塗れたのが1988年のソウル五輪
冷戦のライバルでもあり、ミュンヘン大会でも”疑惑の判定”で敗北を喫しているソビエト連邦と準決勝で相いまみえたアメリカは、再び敗北し銅メダルに甘んじてしまいます。

これをきっかけに、アメリカ国内ではバスケ王国としての威厳を取り戻すべく、NBAに参加しているプロ選手をオリンピックに招聘する機運が高まります。
かくして、NBAで活躍する最強選手をあつめた「ドリームチーム」が結成されることとなったのです。

■マイケル・ジョーダンとオリンピック


出典:thedigestweb

1984年、当時大学バスケからNBA入りが決まっていたマイケル・ジョーダンは、NBAデビュー前に行われたロサンゼルスオリンピックにてバスケアメリカ代表として参加
見事金メダルを手にしています。

1985年にNBAデビューを果たすと、国際大会にNBAプロ選手を参加させない慣例に従い、シカゴ・ブルズでのみ活躍。
88年のソウル五輪にてバスケアメリカ代表がソ連に敗れる様を、TVを通して見たことでしょう。

■バルセロナオリンピックと初代ドリームチーム

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国際バスケットボール連盟(FIBA)もプロ選手のオリンピック参加を認め、ついにNBAのプロ選手が参加できるようになったバルセロナ五輪。
マイケル・ジョーダンにくわえ、マジック・ジョンソンラリー・バードといったハイレベルな選手を投入したアメリカ代表は「違う星から来たチーム」とまで言わしめ、見事金メダル奪還。
代表に選ばれた選手達はドリームチームと呼ばれ、その多くがのちにNBA史上の偉大な選手として殿堂入りを果たしています。

■オリンピック特有のスポンサー契約がマイケルを苦しめる

史上最大のスポーツフランチャイズとも称されるナイキのエアジョーダンシリーズ。
ナイキの社運を賭けたプロジェクトとして1985年のマイケル・ジョーダンNBAデビューに合わせて行われたこのスポンサー契約。
ナイキは賭けに成功し、エアジョーダンはスポーツ史上類をみない人気スニーカーシリーズとして現在も続いています。

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そんなナイキとマイケル・ジョーダンの関係は、あくまでアメリカ国内のNBAにおいてのこと。
オリンピックにおいてはアメリカ代表のユニフォームを、ナイキではなくリーボックが請け負っていたのです。

■リーボックが嫌だったマイケルが取った驚きの行動

ナイキへの思い入れもあり、表彰式でリーボックを着るのは嫌だったマイケル・ジョーダン。
しかし、米オリンピック委員会の事務局長であったハーベイ・シラーは、「ユニフォームを着なければ金メダルを受け取る資格はない」とまでマイケルに厳命。
コレに対しマイケルは反発。

なんと表彰式でリーボックのジャケットの上からアメリカ国旗を纏うことでロゴを覆い隠すという作戦に出ます。
星条旗を纏ったマイケルを見た現場のコメンテーターは「彼が国旗を纏った理由は愛国心だけではなさそうだ」とコメントしました。

■さいごに

今回の記事では、オリンピックバスケットボールとマイケル・ジョーダンのウラ話についてご紹介しました。

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2022年まで約6年間にわたって大手IT系企業に在籍。ファッションブランドやゲーム会社のマーケティング・カスタマーエクスペリエンス強化・海外進出を支援。ファッションはデザイナーズもストリートも大好きだが、特にシュプリームは大好物。