バスケ部門閉鎖寸前だったナイキを救い、現在まで続く世界最大級のアスリートフランチャイズとなったナイキのジョーダンブランド。
1985年にナイキがエアジョーダン1を発売して以来、バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンのシグネチャーであるエアジョーダンシリーズは、世界中のバスケ好きやスニーカーヘッズを虜にしてきました。
エアジョーダン1を語る上でよく取り沙汰されるのが、ユニフォーム規定に違反するエアジョーダン1“ブレッド”をマイケルが試合で履き続け、ナイキがその罰金を肩代わりしていたというエピソード。
今回の記事ではこの “伝説” が事実だったのかにフォーカスし徹底検証。
ぜひ最後までご覧ください。
■アディダス派だったマイケル・ジョーダンがナイキと契約するまで
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バスケットボール界の生ける伝説であるマイケル・ジョーダンの有名性は、彼自身のコート上での輝かしい実績はもちろんのこと、彼にフィーチャーしたナイキのスニーカー、エアジョーダンシリーズによって築かれたことは間違いありません。
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そんなマイケル・ジョーダンですが、1984年のナイキとの契約までは元々超が付くアディダス信者で、ギリギリまでナイキとの契約を渋っていたことはあまり知られていません。
マイケルのNBAデビューにあたって、スポンサー企業は当初コンバース社vsアディダス社の一騎打ちと見られていましたが、ナイキ社がマイケル争奪戦に参入。
紆余曲折を経てナイキは入団直後でNBA実績のない選手に、50万ドル+シューズの販売数に応じたフィーの支払いという破格の契約を締結したのです。
このあたりのいきさつについては、こちらの記事で詳しく解説しております。
■エアジョーダン1を伝説にしたテレビCM
社運をかけた交渉が身を結び、晴れてマイケル・ジョーダンとの契約に成功したナイキ。
こうして1985年に発売されたエアジョーダン1ですが、結論から言うと本モデルの着用にあたってナイキが罰金を払ったという事実はありません。
マイケルがナイキと契約後、シカゴ・ブルズに入団したマイケルは1984年10月のプレシーズンマッチに参加。
この時点ではまだエアジョーダンではなく、ナイキから支給された赤黒のエアシップを着用していました。
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その際、白を基調としたシューズを履いているブルズの他選手と比べてマイケルが目立ちすぎていると感じたNBAが、今後マイケルが赤黒のバッシュを着用した場合罰金とする旨を通告。
これがどうやら“伝説”のベースとなったようです。
ナイキはこの“伝説”を利用し、エアジョーダン1のテレビCMにて「10月15日、ナイキは革新的なバスケットボールシューズを開発した。10月18日、NBAはこれを追放した」と読み上げるムービーを放映。
これによってマイケルとナイキの反骨的なエピソードが浸透したのでしょう。
なお、エアジョーダン1誕生秘話を描いた映画「AIR/エア(2023)」では、ナイキ社によるジョーダン一家に向けたプレゼンのシーンで、ソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)が「シューズの規定違反についてもナイキが罰金を肩代わりする」と明言。
これは映画を盛り上げるための演出だと言えるでしょう。
■NBAの規約違反になっていたのはブレッドだけ?
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押さえておきたいのは、NBAのレギュレーション違反となる恐れがあったのはあくまでエアジョーダン1 “ブレッド” だったということ。
“シカゴ”や “ブラックトゥ” といったエアジョーダン1の他モデルについては公式試合でマイケルが着用する姿が確認されています。
現在残っているマイケルが “ブレッド” を履いてバスケットボールをしている映像や写真は、公式戦ではないスラムダンクコンテスト等から引用したもののようです。
■さいごに
今回の記事では、エアジョーダン1の歴史や、同スニーカーの “伝説” についてご紹介しました。
発売から40年近くが経過したエアジョーダン1ですが、未だにまことしやかに噂されるこの伝説的ストーリー。
そのこと自体が、同モデルがいかに魅力的なスニーカーだったかを裏づけているとも言えるでしょう。
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