世界的な人気を誇るラグジュアリーブランドであるグッチ(Gucci)。
セレブリティやファッション好きはもちろん、近年では10代後半を含む若い世代からも絶大な支持を得ており、その人気は止まるところを知りません。
しかし、そんなビッグブランド・グッチを創業した一族であるグッチ家は、実は今や自身らの名を冠したこのブランドについて一切の権利を行使することができないのです。
そればかりか、自身らが新たに立ち上げたブランドに「グッチ」の名をつけることや、「グッチ」由来であるといったプロモーションをいっさい行うことが禁じられています。
1921年の創業以来、数々の王侯貴族やセレブリティを含む多くの人々から愛されたグッチは、なぜグッチ家の手からこぼれ落ちてしまったのでしょうか。
今回は、グッチ一族の凋落への歴史と、その混乱を生み出した原因とも囁かれている、ある一人の女性についてご紹介致します。
出典:pinterest
■グッチの創業
出典:thefamouspeople
グッチの創業者であるグッチオ・グッチ(Guccio Gucci)はイタリアのフィレンツェで1881年に生まれました。
17でイギリスに渡り、ロンドンの最高級ホテル「サヴォイ・ホテル」の皿洗いの職を得たグッチオは早々に1階レストランフロアのウェイターに出世。
王侯貴族の立ち居振る舞いを間近で見ることから、セレブリティの思考回路や持ち物への知識を学びました。
その後、1901年にイタリアのフィレンツェへ帰り、第一次世界大戦の勃発と共に徴兵。
終戦後の1919年にはフィレンツェの高級革製品店である「フランツィ」で職を得ます。
フランツィでの経験を元に僅か2年で独立し企業。
会社設立の翌年である1922年に自分の店を開き「GUCCI」がスタートします。
イギリスからの革製品の輸入販売とそのリペアリングを主とした店舗でしたが、次第に自社開発のカバンや靴、ベルト等の製品を発売。
持ち手に竹を用いた「バンブー」と呼ばれる鞄や、馬具の腹帯から着想を得た緑=赤=緑のリボンは、発表から70年が経過した今日においても絶大な人気を誇っています。
第二次大戦を潜り抜け、ニューヨークへの出店など益々成長を続けるグッチを尻目に、グッチオ・グッチは、1953年に死去しました。
■兄弟の確執と崩壊の序章
-アルドとロドルフォによるグッチの黄金期-
グッチオ・グッチ亡き後、グッチ家はさらなる事業の拡大に向けて、事業をグッチオの三男アルド (Aldo Gucci)と五男のロドルフォ (Rodolfo Gucci)に引き継ぎます。
アルドはグッチの象徴的なデザインであるGの字を重ねたモノグラムや乗馬の意匠を盛り込んだローファーを開発した類稀なるデザインセンスを持ち、ロドルフォは自身の映画俳優としての過去のキャリアを使い、有名女優にグッチ製品を持たせることで知名度やブランド価値を高めたマーケティングの天才でした。
二人を主軸としたグッチは海外進出にも積極的に取り組み、世界中で大人気となったグッチを担うグッチ家は70年代までおよそ20年に渡り黄金期を迎えます。
2022年に映画公開された「ハウス・オブ・グッチ」の物語がスタートするのもこのあたり。
※レディー・ガガ演じるパトリツィア・レッジャーニがパーティーに参加するシーン(ハウス・オブ・グッチ)
出典:elle
-五男ロドルフォの息子マウリツィオ・グッチとパトリツィア・レッジャーニの出会い-
グッチ家の崩壊の火種は1970年代に入り、ロドルフォ・グッチの息子であるマウリツィオ・グッチ(Maurizio Gucci)のある恋愛をきっかけに生まれます。
マウリツィオは1971年にパーティー会場でパトリツィア・レッジャーニ(Patrizia Reggiani)という赤いドレスの女性と出会います。
出典:theguardian
同じ22歳だった二人は意気投合しますが、父であるロドルフォは「金目当てにマウリツィオに近づいた女だ」と二人の結婚に反対。
マウリツィオは父の反対を押し切り翌年パトリツィアと結婚。
義理の娘となり孫も出産したパトリツィアにロドルフォも心を赦すようになり、グッチ家の若き御曹司とその妻の華やかな生活は度々メディアを賑わせ、世間にも広く知られるようになります。
-アルド・グッチとその3人の息子-
創業者グッチオ・グッチの三男であるアルド・グッチには、ジョルジオ、パオロ、ロベルトという3人の息子がいました。
当時、名実ともにグッチのトップに君臨していたアルドは、自身が50%保有するグッチの株式のうち10%を3人の息子たちに均等に振り分け、経営への意欲的な参画を促します。
中でも次男のパオロ・グッチは独創的なデザインセンスを持ち、1968年のグッチ史上初のプレタポルテ(オーダーメイドではない既製服)コレクションのデザインも担当します。
パオロは「グッチをより万人に着て欲しい」との思いから、手が届きやすい低価格ラインの開発や、ブランド名を貸出し他企業で商品を生産するライセンス事業のスタートを目論みます。
映画ハウス・オブ・グッチでは、このパオロがグッチ家の落ちこぼれでデザインの才能が無い人物として描かれていたのが非常に印象的でした。
※ジャレット・レト演じるパオロ・グッチ(ハウス・オブ・グッチ)
出典:buzzfeed
■確執、崩壊、そして惨劇へ
-マウリツィオとパオロの待遇の差を巡る軋轢-
前述の通り「万人にグッチを着てもらう」べく低価格ラインやライセンス事業のスタートを強く主張していたパオロは、叔父でありマーケティングやブランド戦略を司るロドルフォへ何度も直訴の書簡を出していましたが、ブランド価値の毀損を恐れたロドルフォはそれをことごとく拒絶しました。
あるとき、不満を募らせたパオロが、彼がトルナブオーニのグッチの支店に立ち寄った際にロドルフォのデザインした靴をショーウインドウから勝手に撤去するという事件が起こります。
これを重く見た父アルドは、ロドルフォと息子の接触を避けるべく、パオロをフィレンツェからニューヨークへ呼びよせ、グッチショップスとグッチ・パルファン・アメリカの副社長に据えます。
しかし、この対応に対し今度はロドルフォが激怒。
当時ロドルフォの息子マウリツィオもニューヨークのアルドのもとに預けていたにも関わらず、突然アルドが自身の息子パオロをニューヨークに呼び寄せ、マウリツィオよりも高待遇で迎えたことへの不満を滲ませます。
ロドルフォは自身の権限を使いパオロを「フィレンツェの工場への職務不履行」を理由にグッチイタリアから解雇。
創業者グッチオ・グッチの息子2人とそれぞれの子供の確執はこれで決定的となりました。
-パオロのグッチ追放とパトリツィアの暗躍-
グッチイタリアという帰るべき場所を失ったパオロはニューヨークのグッチで暴走。
独特なデザインセンスでオリジナルのコレクションを作り、長年主張を続けていた大量生産の低価格コレクションを作成。なんとスーパーマーケットで販売しようとしたのです。
これには叔父ロドルフォどころか、父アルドも大激怒し、遂にはパオロをグッチから追放しました。
その後1983年にロドルフォは亡くなりますが、時を同じくしてロドルフォの息子マウリツィオの妻であるパトリツィアの謀略が始まります。
夫マウリツィオをグッチのトップに据えることを目論んだパトリツィアは、グッチから追放されていたパオロに近づきます。
パオロの心のうちに燻る父アルドに対する憎しみを利用し、彼の保有株式とマウリツィオの株式を合計することで発行株の過半数を制します。
これにより議決権を持ったマウリツィオは、アルドをグッチCEOの座から追い落とします。
当然黙ってはいないアルドは新社長であるマウリツィオに対し妨害工作を開始。
「マウリツィオは父親であるロドルフォから保有していた株を引き継ぐ際に、父親のサインを偽造させて株を相続した」と告訴します。
これにより、裁判の判決が降るまで社長の座からも距離を置くことを余儀なくされたマウリツィオでしたが、原告側のアルドも無事では済みませんでした。
応酬のごとく社長時代の脱税容疑でマウリツィオや息子パオロに告訴されたアルドには、結果として多額の罰金と禁固刑の実刑判決が下り、齢80にして収監の憂き目を見ます。
-グッチ家からこぼれ落ちたブランド「グッチ」-
パトリツィアの謀略によりアルドを追い落とし、裁判を終えグッチのトップに返り咲いたマウリツィオでしたが、今度はアルドの長男ジョルジオと三男ロベルトが自身の保有株を資産投資会社「インベストコープ」へ売却。
次いで一時は共闘した次男パオロもマウリツィオを裏切り、イベントスコープへ保有株を売却。
グッチ株の過半数が一族の手から離れてしまいました。
世代を跨いだグッチ家の骨肉の争いはグッチのブランド価値を大きく下げ、マウリツィオも失意の中グッチの株をすべて手放し、ついには一族の手からブランドが完全に離れてしまいました。
-マウリツィオの暗殺とパトリツィアの逮捕-
出典:theguardian.
1995年、マウリツィオ・グッチが暗殺されるというセンセーショナルな事件が世界中を駆け巡ります。
1995年3月27日午前8時30分、マウリツィオは朝オフィスに入るところを、マフィアの雇ったヒットマンの銃撃を受け死亡します。
その後の捜査により逮捕されたのはなんと妻パトリツィア。
夫の暗殺を依頼したマフィアとの間で報酬に関するトラブルから計画が発覚し、29年の懲役判決を受けます。
かつてメディアを賑わせたパワーカップルの末路に世界中が衝撃に包まれました。
なお、パトリツィアの犯行動機には諸説あり、
- マウリツィオによる不貞
- マウリツィオの財産目当て
- グッチを支配する野望が潰えたことへの報復
など、今日においても様々な説が囁かれています。
■さいごに
今回、グッチ一族の手を離れてからのブランドグッチの復活や現在の爆発的な人気の理由などには触れず、グッチオ・グッチの立ち上げた世界的なブランドが産んだ一族間の争いの系譜にフォーカスしてご紹介致しました。
なお、この一連の諍いは前述の通り「エイリアン」「オデッセイ」などで知られるリドリー・スコット監督によって映画化。
「ハウス・オブ・グッチ」というタイトルで2022年1月14日に日本の劇場公開がなされました。
映画ではマウリツィオ役をスターウォーズシリーズで知られるアダム・ドライバー、パトリツィア役をアメリカの歌姫レディー・ガガが務め、グッチ家がいかにして崩壊してゆくかを圧巻の演技と演出で表現していました。